本シリーズは、新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)の流行発生から世界拡大した最初の1年間をふり返りながら、近年まれにみる大流行が生じた原因を解き明かすことを目的にしています。第2回は中国で発生した流行が西欧や中東に波及し、そこでパンデミック(世界流行)に発展する大規模な流行が生じた経緯と、その背景にある社会状況を解説します。
「第1回 新型コロナはいかにして中国・武漢から世界に広がったのか」から続く
中国で発生した新型コロナの流行が最初のピークを迎えたのは2020年2月中旬のことでした。その後、中国国内での流行は収束に向かいますが、この時点でウイルスは世界各地に拡散していました。こうしたウイルスの飛び火した国の中でも、イタリアとイランでは患者数が急増し、新たな流行の震源地になります。この震源地から西欧や中東に広がった流行が、パンデミックへと拡大していくのです。
イタリアで最初の新型コロナ患者が確認されたのは2020年1月30日のローマで、中国からの旅行者でした。その後、2月中旬から、北部のロンバルディア州(州都ミラノ)やベネト州(州都ベネチア)で中国に渡航歴のない患者が多発します。このときまでにイタリア北部では、新型コロナの国内感染が発生していたと考えられます。
患者数の急増に伴い医療機関には多くの受診者が殺到し、検査や治療が追いつかない状況になりました。高齢者を中心に死亡する者も多発し、いわゆる医療崩壊が進行していったのです。この事態にイタリア政府は北部地域の封鎖を行いますが、流行は国内全域に広がり、3月10日には全土をロックダウンするに至りました。3月中旬までにイタリアでは、4万人以上の新型コロナ患者が発生し、中国を上回る3000人以上が死亡していたのです。
イタリアでは北部を中心に1990年代から中国人労働者が増加しており、その数は2010年代には30万人以上に達していました。イタリアのファッションブランドの縫製は、中国人労働者に依存しているとまで言われたほどです。さらに、イタリア政府は2019年3月に、中国政府が推進する巨大経済圏構想「一帯一路」に、G7加盟国として唯一参加することを決めており、両国の経済関係は強化されていました。これに伴い、イタリアを訪れる中国人観光客数も急増し、両国の人的交流はさらに活発になっていたのです。
こうした状況のなか、中国で発生した新型コロナがイタリアに波及することは十分に予想されました。イタリア政府も水際対策を2020年1月下旬から強化していましたが、中国とは地理的に離れていたことから、これ程の大流行になるとは想定していなかったようです。
このように中国からイタリアに流行が飛び火した背景には、両国の深い関係があったわけですが、患者が急増した原因にはウイルスの変異も挙げられます。
イタリアで流行した時点の新型コロナウイルスを解析すると、武漢で拡大を始めたウイルスに比べて、スパイクタンパクにD614Gと呼ばれる変異が認められました。この影響によりウイルスの感染力が強くなり、その結果として、イタリアで急速に患者数が増えていったのです。
では、このD614G変異はどこで発生したのでしょうか。当初はヨーロッパと考えられ、このウイルスを欧州株とも呼んでいましたが、最近では中国で変異したとする説が有力になっています。
3月に入るとイタリアでの流行は近隣の西欧諸国にも波及していきました。これに関与したのが、2月に西欧各地で開催されたカーニバル(謝肉祭)です。
カーニバルはキリスト教徒(特にカトリック)の祭典で、ブラジルのリオが有名ですが、イタリアのベネチアでもコスプレ大会をすることで、ヨーロッパ各地から多くの観光客が訪れます。2020年のベネチアでのカーニバルは2月8日から25日と、まさにイタリアでの流行が拡大する時期に重なりました。このため、23日に急遽終了になりますが、このときまでにベネチアには、世界中から多くの観光客が訪れていました。
こうした観光客が、イタリア国内はもとより、母国に新型コロナを持ち帰ったのです。これが3月以降、西欧諸国で流行が急速に拡大した一因となり、その流行は5月末まで続きました。
イタリアとともに、新型コロナの流行が急拡大した国がイランでした。
2月19日、同国北部にあるイスラム教の聖地ゴムで患者が発生し、その後、3月下旬までにイラン国内では3万人以上の患者が報告されました。イランは欧米諸国による経済制裁下にあり、中国との関係を強化していたことが、早期に流行が飛び火した一因と考えられます。その後、イランでの流行はイスラム教の礼拝などを介して、国内に広くまん延していきました。この結果、イランが中東における新型コロナ流行の震源地となり、周辺諸国に拡大していきました。
4月になるとカタール、バーレーン、UAEなど湾岸諸国での患者数が急増しますが、イランからの流行が波及したのに加えて、西欧諸国での流行が拡大してきたことも影響しています。
このときに湾岸諸国で発生した患者の大多数は、そこで働く外国人労働者でした。カタールやUAEではインド系などの外国人労働者が人口の9割を占め、集団生活をするなど劣悪な環境で暮らしています。こうした集団の間で、新型コロナの流行が急拡大していったのです。
さらに、4月下旬から始まったイスラム教の宗教行事であるラマダンが、中東地域での流行に拍車をかけました。約1か月にわたるラマダン期間中は、日の出から日没まで断食し、日没後の食事を大人数で食べることが習慣になっています。この夜の会食が新型コロナの拡大を助長したようです。
ラマダン期間を経て、中東諸国では新型コロナの流行がさらに広がり、2020年を通して流行することになるのです。
このように、中国で発生した新型コロナの流行は、イタリアとイランへの2つのルートを介して、ユーラシア大陸全体に拡大していきました。それには、キリスト教のカーニバルやイスラム教のラマダンといった宗教行事も影響していたようです。この間に、流行はアメリカ大陸にも波及し、そこで大きく増幅することになります。次回はこの経緯について解説します。
【次回は2月掲載予定】
取材依頼は、お問い合わせフォームからお願いします。
東京医科大学病院 渡航者医療センター 客員教授
1981年に東京慈恵会医科大学卒業後、米国Case Western Reserve大学に留学し熱帯感染症、渡航医学を修得する。帰国後に東京慈恵会医科大学・熱帯医学教室講師を経て、2004年より海外勤務健康管理センターのセンター長。新型インフルエンザやデング熱などの感染症対策事業を運営してきた。2010年7月より現職に着任し、海外勤務者や海外旅行者の診療にあたっている。