世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長が6月19日、「新型コロナウイルスの流行が危険なフエーズに入った」と発表しました。この前日、全世界では今までで最大の日に15万人の感染者が発生していたのです。その一方で、日本では5月末に緊急事態宣言が全国的に解除されてから、大きな流行の再燃は起きていません。6月中旬までの日本の感染者数は約1万7000人で、これは米国の感染者数220万人に比べると100分の1以下の数になります。「日本の新型コロナ対策が成功したから」とする意見もありますが、日本人がこのウイルスにかかりにくい可能性も考えられます。今回はこの理由について検討します。
6月中旬時点で世界の流行状況をみると、西ヨーロッパは3月のピークを越えて収束傾向にあります。米国も4月に1度ピークになりましたが、6月から南部の州で流行の再燃がみられています。一方、南米のブラジルやチリでは、6月に感染爆発が起きており、感染者数が急増しています。インドや中東でも6月は感染者数が増えており、今後さらなる増加が予想されます。アフリカでは大きな流行はみられていませんが、各国で感染者数が着実に増えています。一方、オーストラリアとニュージーランドでは流行がほぼ収束しています。これは両国が島国で強い鎖国体制をとっているためです。今後、開国した場合に流行が再燃することも予想されます。
ここで注目すべきは日本を含む東アジアと東南アジアです。この地域は流行がほぼ収束しているとともに、感染者数そのものが少ない状況にあります。この地域で最も感染者が多いのは、流行の震源地だった中国の約9万人で、それでも米国の25分の1の数です。これに続くのがインドネシア やシンガポールで4万人台。そしてフィリピン、日本の順になります。
こうして世界の状況をながめてみると、日本だけでなく東アジアや東南アジアで感染者数が少ないことが分かります。
このようにアジア東部で新型コロナの感染者数が少ない原因としては、ウイルスとヒトの両方の影響が考えられます。ウイルス側の影響としては、この地域で流行しているウイルスが、他の地域のウイルスに比べて感染力が弱いという可能性が挙げられます。流行が発生して半年以上経過し、ウイルスの変異がある程度は起きていると思いますが、私はこのウイルス変異の影響はあまり大きくないと考えています。
その理由は、南アジアのインドやバングラデシュで感染者数が急増している点です。そこに隣接する東南アジア諸国では、感染者がほとんど増えておらず、両地域で流行しているウイルスの種類が違うとは思えません。むしろヒト側の影響があるのではないでしょうか。
私がヒト側の影響として注目しているのは「人種」です。世界の人種はコーカソイド、ネグロイド、モンゴロイド、オーストラロイドの4つに分類されます。このうち、東アジアと東南アジアに住んでいるのがモンゴロイド(いわゆる黄色人種)で、まさにモンゴロイドの間で新型コロナウイルスの感染者が少ないことになるのです。
流行が最も拡大している米国でも、アジア系の感染者は他の人種に比べて少ないようです。ニューヨーク市の発表しているデータでは、未入院の新型コロナ感染者の人口10万人あたり頻度が、アフリカ系で336人、ヒスパニックで272人、白人で190人、そしてアジア系で95人という数値でした(4月16日まで)。
ニューヨーク市はアジア系人口が少ないという状況もありますが、米国でもアジア系の感染者数は一般に少ないようです。
このようにアジア系、とりわけモンゴロイドで新型コロナ感染者が少ない理由としては、第1に遺伝的な素因が考えられます。たとえば、新型コロナウイルスは気道表面の細胞のACE2という受容体から侵入しますが、この受容体数がモンゴロイドで少なければ、同じウイルスでも感染力は落ちます。最近の研究では子どもがウイルスにかかりにくい原因として、この受容体数が少ないというデータも出ています。同じことがモンゴロイドでも言えるかもしれません。
もう1つは、モンゴロイドが既に新型コロナウイルスに対する免疫を持っている可能性です。病原体への免疫は、以前、同一の病原体に感染していた時に生じます。今回の新型コロナの流行は2019年12月からですから、日本人を含むモンゴロイドが、それ以前に感染していた可能性はありません。しかし、新型コロナと近縁の病原体に感染して免疫ができている可能性はあります。これは「交差免疫」と呼ばれるものです。
ヒトに感染するコロナウイルスは、今回の新型コロナウイルス(SARS CoV-2)以外に6種類が知られています。この中には、SARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)をおこす病原性の高いウイルスもありますが、風邪の原因となる病原性の低いウイルスもあります。モンゴロイドの居住地域で過去にこうした病原性の低いコロナウイルスが何回も流行していれば、今回の新型コロナに交差免疫を持っている可能性もあるのです。
今回の流行が中国の武漢周辺で発生したことはほぼ明らかです。そして、この震源地のあるアジア東部で感染者が少ないということは、感染者が少ない理由と流行発生との間に、何らかの関係があるのかもしれません。
新型コロナウイルス(SARS CoV-2)は、動物(コウモリなど)が保有するウイルスがヒトに感染し、それがヒトからヒトに感染するようになりました。この動物からヒトへの感染が2019年12月ごろに武漢で起きたというわけです。しかし、もしかすると、それ以前に、中国などでこのウイルスが動物からヒトに感染していたかもしれません。その時点でウイルスはあまり強い感染力や病原性を持っていなかったため、アジア東部で静かな流行が起こり終息した。そして、そこの住民は一定の免疫を獲得できた。そんな可能性があります。
ところが、2019年12月にヒトに再度感染した新型コロナウイルスは、ある程度の感染力や病原性を持っていたため、世界的にヒトの間で拡大していった。そのため、アジア東部では感染者が少なかったが、それ以外の地域では大流行となった――そんな仮説も考えられます。
いずれにしても、新型コロナウイルスの流行は始まったばかりです。これから第2波、第3波と流行が年単位で起きるものと予想されます。こうした長期間の流行状況を見ないと、アジア東部の住民やモンゴロイドに感染者が少ないという結論は出せないでしょう。この問題の解明には、まだまだ時間がかかります。
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東京医科大学病院 渡航者医療センター 客員教授
1981年に東京慈恵会医科大学卒業後、米国Case Western Reserve大学に留学し熱帯感染症、渡航医学を修得する。帰国後に東京慈恵会医科大学・熱帯医学教室講師を経て、2004年より海外勤務健康管理センターのセンター長。新型インフルエンザやデング熱などの感染症対策事業を運営してきた。2010年7月より現職に着任し、海外勤務者や海外旅行者の診療にあたっている。