経カテーテル大動脈弁留置術とは大動脈弁狭窄症のための治療法のひとつです。
従来大動脈弁狭窄症に対しては、開胸する手術が標準の治療法でしたが、ご高齢であったり、体の調子が悪かったりなど何らかの理由で治療を受けることができないという方が多くいました。
そういった方をどうにか治療できないかということから、2002年にフランスの医師が初めて行ったのが、この経カテーテル大動脈弁留置術なのです。当初は危険な面も多い治療でしたが、2016年現在は初めて行われた年から14年ほど経っており、治療成績も非常によくなってきています。
具体的には、30日死亡率が世界的に5%を切るほどにまで下がっており、一方日本では経カテーテル大動脈弁留置術が導入されてまだ2、3年ですが、それでも死亡率が2%近くまで下がっています。
経カテーテル大動脈弁留置術を行う際には、ふたつのアプローチ方法があります。ひとつは、太ももの付け根にある血管からカテーテルを挿入し、心臓まで到達させる「経大腿アプローチ」。もうひとつは肋骨の間を少しだけ切開して、心臓の先端からカテーテル留置を行う「経心尖アプローチ」です。基本的には、足から挿入する経大腿アプローチを行います。
太ももの付け根には大腿動脈という太い血管があります。まずはそこに小さな穴を開け、穴から鉛筆大の太さに畳まれている生体弁を装着したカテーテルを挿入し、心臓まで運びます。
カテーテルを通じて生体弁が狭窄している大動脈弁まで到達したら、折りたたまれた生体弁をバルーン(風船)によって拡げ、最適な位置に留置します。きちんと留置が完了したらカテーテルを抜去します。生体弁はそのまま患者さんの弁として機能することができます。
経大腿アプローチは切開の傷口も足の付け根の1cmほどで済むため、患者さんにとって負担が少ないのが特徴です。
経心尖アプローチは、足の血管が狭い場合や、石灰がくっついていて太い管が入らないような場合に行います。胸の一部を開き、心臓の先端からシースという太い管をいれ、そこから生体弁を挿入する方法です。肋骨と肋骨の間を6~7㎝ほど切開し、その部分からカテーテルを挿入します。
カテーテルに装着されている生体弁が大動脈弁まで到達したら、経大腿アプローチと同様の流れで生体弁を留置します。経心尖アプローチの場合は少し胸を切るのですが、心臓を止めなくていいというメリットがあります。
経カテーテル大動脈弁留置術は患者さんにとって最も負担の少ない経大腿アプローチが第一選択となりますが、それが難しい場合には経心尖アプローチ、その他経鎖骨下動脈アプローチや直接大動脈アプローチを行う可能性もあります。
経カテーテル大動脈弁留置術を希望する場合、まずは一度検査入院することをお勧めしています。
一通り検査をしたうえで、「ハートチーム」といわれる循環器内科や心臓血管外科、麻酔科、心エコー医、理学療法士、放射線技師、看護師、臨床工学技士などが集まり話し合って最もよい治療法を選んでいきます。その際には、患者さんに対して合併症などデメリットの説明も行います。
チームでの治療には多くの人が関わりますが、チームが結束していくことは難しいことではありません。共通のゴールをシェアしてそれに向かっていくことを大事にしています。
<メリット>
大きなメリットとしては以下の2点が挙げられます。
手術自体が終われば、もちろんQOL(生活の質)の向上が見込めますし、ADL(食事や入浴、排泄など日常生活を営むうえで不可欠な基本的行動)をいかに保ったまま退院を目指せるかという部分でも期待がもてます。わかりやすくいうと、「寝たきりにならず、家で暮らすのと変わらないように動ける状態で退院できるようにする」という部分です。
入院期間が長いほど体力も筋力も低下していきますから、早期退院できることでリハビリテーションの期間もほとんどなくて済みます。
また、治療の機会を得られなかった方が治療する機会をもてるというのは、例えば、肺が悪くて人工呼吸器をつけられない方や開胸が難しい方、また「ChildB」といわれるあまり状態が良くない肝硬変の方などでも、経カテーテル大動脈弁留置術であれば人工心肺を使わず、さらに経大腿アプローチであれば熟練施設においては局所麻酔で行うことができるため、治療が可能なのです。
従来の手術治療が難しかった、もしくは不可能だった患者さんに対しても行える治療法であることから、治療の選択肢が広がり、救うことが難しかった患者さんを救うことができるようになりました。
<デメリット>
デメリットとしてまず挙げられるのは、現在、10年以上の長期成績がわかっていないということです。これには、その先の成績を出すのが物理的に難しいという理由があります。
経カテーテル大動脈弁留置術治療の対象となるのが平均85歳程度ということもあり、5年までは弁の耐久性がわかっているのですが、それ以上は成績が出ていないのが現状です。ただし、経カテーテル大動脈弁留置術の治療成績はとても期待が持てるもので、今後は治療の適応年齢が拡大されていく可能性も十分にあります。
実際、2016年の米国心臓病学会(ACC)で発表された、経カテーテル大動脈弁留置術と外科手術との治療成績の比較では、2年の経過観察ですが、中等度リスクの患者さんに対して経カテーテル大動脈弁留置術を行ったほうが、より死亡率が低いというデータも出ています。そのため、中等度リスク(通常の開胸手術でも問題がない)の方の間にもどんどん広がっていき、今後長期の成績が出てくる可能性は十分考えられるのです。
デメリットとしてもう一つ挙げられるのが、ご自身の弁を切り取らないため、すでに体の中にあるご自身の弁と経カテーテル大動脈弁留置術の弁との間に隙間ができてしまい脇漏れを起こしてしまうことです。これを弁周囲逆流といいます。
ただし、この弁周囲逆流については2016年5月から日本でも使用開始された新しい生体弁の登場によってほとんど解決されると考えられます。
そのため、長期成績、弁周囲逆流という二つのデメリットはほとんど解消されるといってもよいかもしれません。
その他では、経カテーテル大動脈弁留置術の場合はペースメーカを入れる確率が7%程度あるのですが、大動脈弁置換術(AVR)では、ペースメーカを入れる方はあまりいません。そのため、ペースメーカの問題も将来的に解決する必要があります。また、僧帽弁など他の弁にも問題を抱えている場合、経カテーテル大動脈弁留置術だけでは治りませんし、血液透析を受けている患者さんは現在、日本では保険適応となっていないので、今後適応が拡大されていくのかについても課題といえるでしょう。
治療対象となる患者さんは、ご高齢で体力が低下している、その他の疾患などリスク因子が高い、またそのために外科的治療を受けられないなどの理由で、通常の手術が困難であると想定される方になります。年齢でいうと平均85歳であり、現状は主に80歳以上の治療ともいえます。80歳台前半の患者さんの場合には、何かしら理由がある場合やご本人の強い希望がある場合などに適応となることが多いですが、判断基準はそれぞれの施設ごとに異なります。
60~70代の比較的お若い患者さんであれば、基本的に長期成績の担保されている外科的弁置換術が適応されることが多いです。ただし、前述のとおり中等度リスクの患者さんに対しても、経カテーテル大動脈弁留置術のほうが外科治療に比べて治療後の死亡率が低いという結果があるので、今後は適応の年齢が変わっていく可能性もあります。
経大腿アプローチの場合、穿刺法といわれる止血デバイスを用いて針を刺す方法なので、外科の先生が縫う必要のないほど小さな傷口で済みます。そのため、痛みはほとんどありません。
ただし、経心尖アプローチの場合、5cmほど開胸するため、その傷が痛む可能性はあります。どちらの方法かで痛みは異なります。
経カテーテル大動脈弁留置術では、手術時間・入院期間ともに短期間で済むのが大きな特徴です。
経心尖アプローチは手術時間約3~4時間、入院期間は約1~2週間となります。経大腿アプローチの場合は手術時間約2時間(手術を行っているだけの時間であれば約40分)、入院期間は1週間以内で、最短で術後3日程で退院する例もあります。これは、長期の入院により寝たきりの状態になったりすることを防ぐというメリットにもつながっています。
●人工弁の耐久性
人工弁は5年の耐久性が確認されていますが、その先はまだ証明されていません。ただ、15年~半永久的に使える生体弁や機械弁と同じ素材・同じ技術を用いて作られているため、5年以内に再治療が必要となるほど弁が劣化することはあまりないと考えられます。
●治療後は食事や運動に注意する
治療後の日常生活では、食事と運動に注意して頂く点があります。
食事に関しては、栄養バランスが大切です。いわゆる生活習慣病への注意と同じですが、特にカロリー、水分、塩分の量は医師と相談しながら綿密に決定します。また、カルシウムの摂りすぎは生体弁の耐久性を弱めると考えられていますから、カルシウムサプリメントは推奨さません。アルコールも心臓への負担が大きいため飲み過ぎないように心がけます。
運動に関しては、元々できる方であれば水泳などの激しい運動も可能です。ただし、これはあくまで元から水泳をしていた方などに限った話であり、手術によって身体を若返らせている訳ではありません。弁は治りますが、その他の部分まで元気になるという誤解はしないよう注意してください。
運動を全くしないこともよくありません。適度な運動は心臓の負担を軽くし、健康な体を作るために役立ちますが、運動の激しさは医師に相談しながら決める必要があります。
●治療後の薬物療法
薬物については、治療後も抗血小板薬を飲む必要があります。
チエノピリジン系薬を治療後3か月間、アスピリンはさらに継続して服薬します。抗凝固療法を行う必要はありません。
その他、他の治療などで医療施設にかかる際は生体弁が心臓にあることを必ず伝えてください。
経カテーテル大動脈弁留置術は2013年10月より健康保険に適応されています。
高額療養費制度を活用する場合、さらに費用の減額が可能です。
■健康保険を使用する場合
・70歳未満の方:約180万円(※3割負担の場合)
・70歳以上の方:約44400円(所得に応じて変異)
■高額療養費制度を利用する場合
70歳未満の方:約14万円
70歳以上の方:44400円
●他の治療との比較 外科的治療
経カテーテル大動脈弁留置術
(経心尖アプローチ)
経カテーテル大動脈弁留置術
(経大腿アプローチ)
人工心肺要不要不要
アプローチ経路開胸肋間(小開胸)大腿動脈
侵襲度高中低
平均治療時間5~6時間3~4時間2~3時間
平均入院期間約2週間約1~2週間約1週間
上記表のとおり、経カテーテル大動脈弁留置術は人工心肺が不要であることが最大の特徴といえます。
人工心肺では動いている心臓を一度止めて、いつも流れている自分の血流とは異なるものを流すので、少なからず体に負担をかけます。
そのため、心臓を止めないで治療できるというのは大きなメリットです。
大動脈弁置換法の場合、大動脈遮断時間や血液ポンプを使用する時間は一時間ほどですが、経カテーテル大動脈弁留置術の場合はそれよりも短くなります。
経カテーテル大動脈弁留置術では、ペースメーカを使って心拍数を200程に上げて血圧を50程に操作します(ラピットペーシング)。それにより少しだけ心臓を止めているのですが、心停止は時間にして30秒ほどです。心拍数を上げることで心臓はうまく血液を送り出せず血圧が下がります。その間に人工弁を置いているのです。これが、通常の手術だと1時間程度かかる一方、経カテーテル大動脈弁留置術であれば30秒で済むということです。
保存的治療は、患者さんの状態が非常に悪く経カテーテル大動脈弁留置術の手術でさえ耐えられない場合や、経カテーテル大動脈弁留置術には不向きな弁の形をしている場合、保険適応になっていない透析患者さんやもともと外科の生体弁が入っている場合などに選択されます。もともと生体弁が入っている場合、経カテーテル大動脈弁留置術の弁を入れることもできるのですが、保険が通っていないのでやはり難しいでしょう。
保存的治療では、強心剤、利尿剤、血管拡張剤、抗不整脈剤、抗凝固剤、降圧剤などの薬剤によって症状を緩和したり進行を抑制したりする効果が期待でき、そのため心臓にかかる負担も和らげることができます。
薬剤の他にも、バルーンを使って膨らます方法もあるのですが、回数を重ねると効果はなくなってきます。このバルーンによる治療は、実は経カテーテル大動脈弁留置術を開発した医師がずっとやり続けていた方法です。しかし、やはりどうしても効果が上がらなかったので止めたという背景があります。保存的治療は変異した弁そのものを治す治療法ではないので、一時的な症状の改善にはつながっても予後の改善にはなりません。
ただ、例えばお腹の手術をする必要があるけれど、すごく心臓が悪いので手術ができないといった場合、先に経カテーテル大動脈弁留置術を行ってしまうと弁に病原菌が付いてしまったり、血を逆流させる薬を飲まなければならなかったりします。そのため、まずバルーンを使ってお腹の手術に耐えられるようにしてお腹の手術を行い、その後、経カテーテル大動脈弁留置術の手術を行うという風に使う場合もあります。
元々は、2004年頃からずっと「冠動脈インターべンション(PCI)」という治療を行っていたのですが、これではどうしても患者さんの予後(病気の経過)がよくならない場合があるという問題がありました。寿命を延ばす効果のない場合があるにもかかわらず、重い合併症が起こる可能性もあるので、そうしたことがこの治療のみを続けるうえである程度ジレンマになっていました。
PCIについては手技に長けた先生に習っていたので様々なところまで治療ができていたのですが、弁膜症に関してはその当時のカテーテル治療では手が出ず、「治しようがない」という部分がありました。
リスクの高い重症の弁膜症の患者さんを外科手術に送っても亡くなってしまうことが多かったので、「自分の手で助けられないだろうか」という思いもありましたし、外科手術に耐えられないケースもあるのではないかという懸念もありました。
そうした思いを抱えていたとき、海外の学会の報告などに「経カテーテル大動脈弁留置術」が登場してきたのです。これはぜひ勉強したいと思い、周囲の協力を得てフランスに留学しました。
大動脈弁狭窄症の患者さんは亡くなってしまうケースが多く、治療をしないと予後はよくなりません。経カテーテル大動脈弁留置術は最初、危険な治療でしたが、一方、死亡率が下がるだろうという見通しもありました。予後を改善するための治療なので、テクニックやデバイス、道具に関しては時間が経てば改善されていくことが予測できたからです。ですから、これは絶対に生き残る治療だと信じていました。
そして、何より自分の手技に対して「絶対に正しいことをしている」という確信を持てるような治療をしていきたいという思いがあったので、もちろん、冠動脈インタべーションを否定するわけではないのですが、経カテーテル大動脈弁留置術をやりたいという気持ちが強くなりました。
現在、経カテーテル大動脈弁留置術を行える医療機関は増えており、大体60以上の施設で指導を行ってきました。現在、各地域の基幹施設として多くの経カテーテル大動脈弁留置術の症例を施行しているところにはほとんど指導に行っています。
また日本は独自の発展を遂げるあまり、ややもするとガラパゴス化していく可能性があり、経カテーテル大動脈弁留置術に関しても日本だけで正しいと信じられている内容があります。ただ、それがあまりよい方向に進んでいません。
今後はグローバルスタンダードを取り入れたいという思いがあり、海外学会と協力して日本で開催することも行っています。最近では、インターベンション医療従事者向けの教育を目的として、経カテーテル大動脈弁留置術や弁膜症のインターベンションに特化した「PCR Tokyo Valves」を開催しました。これは、ロンドンで行われたPCR London valvesという学会のアジア版です。
おもしろいと思えること、楽しいと思えることをしていたいという気持ちが、新たな治療法の修得やこうした活動を行うことへの原動力なのかもしれません。
林田健太郎先生は日本人で初めて経カテーテル大動脈弁留置術の指導医資格を取得された、経カテーテル大動脈弁留置術治療のトップランナーです。
林田先生が医師になって間もなくのころは、重度の弁膜症患者さんの場合、手術が受けられず、亡くなるのを見ているしかなかったといいます。そのような状況をどうにかしたいという思いから、重症患者さんでも治療ができる方法がないだろうかと考えていらっしゃいました。
2009年、転機が訪れます。林田先生は留学制度を活用し、経カテーテル大動脈弁留置術発祥の地であるフランスに渡仏し、日本人初フェローとして経カテーテル大動脈弁留置術を学んでこられました。2012年、経カテーテル大動脈弁留置術の手技を完璧に取得した林田先生は日本に帰国。国内唯一の経カテーテル大動脈弁留置術指導医として、全国各地を渡り経カテーテル大動脈弁留置術の指導に明け暮れます。
林田先生の尽力により、経カテーテル大動脈弁留置術は1年後の2013年に健康保険の適応となりました。これにより経カテーテル大動脈弁留置術を受ける患者さんが増加し、2015年時点で治療数は2000例を超えることになります。
林田先生によると、今後の課題は合併症をいかに減らすかだといいます。経カテーテル大動脈弁留置術の合併症として重篤なものに、自己の弁と人工弁の間に隙間が生じてそこから血液が逆流することが挙げられます。手技や人工弁を進化させていくことで、これも減っていくと林田先生は考えています。
また、林田先生は、独りよがりの治療にならないことを常に意識しています。これは「ペイシェント・ファースト」という理念ともいえます。
ペイシェント・ファーストとは、治療がまず患者さんにとって良いものか否かを考えていくというものです。例え医学的には最適だと思われても、個々の患者さんにとってはそうではない可能性があります。患者さんやご家族の意向をしっかりと聞き、患者さんの意志を第一にして、その方が最も望む方法をすべきだと先生は考えています。
さらに、林田先生はあるふたつのミッションを抱いています。
まずは日本にいる大動脈弁狭窄症の患者さんに、経カテーテル大動脈弁留置術を安全に受けていただくための活動を怠らないことです。そして、日本が経カテーテル大動脈弁留置術治療の成果をこれから世界に発信し、世界的な舞台で対等になることだといいます。
これからは、日本から経カテーテル大動脈弁留置術治療の発展を発信していくことが求められています。
*患者さんへのメッセージ
医師は人の役に立ちたいという根源的な思いを持っています。医師に遠慮してしまう患者さんは多いのですが、どうか遠慮せず、感じたこと・思ったことはどのようなことでも尋ねてみてください。私たち医師もそれを望んでいます。気軽に伝えていただければと思います。
●林田健太郎(はやしだけんたろう) 慶応義塾大学医学部循環器内科専任講師/心臓カテーテル室共同主任
●参考サイト、書籍
・新 名医の最新治療2016(週刊朝日MOOK)
慶應義塾大学医学部循環器内科 特任准教授/心臓カテーテル室主任
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