帝京大学医学部附属病院 心臓血管外科 主任教授、日本低侵襲心臓手術学会 (J-MICS) 副代表理事 下川 智樹先生
以前は胸の中央部を大きく切開して行っていた心臓手術。しかし近年は、小さな傷あとしか残らない「MICS」手術が幅広く行われている。MICSとはどのような手術なのか、どういった病気に対応できるものなのか、帝京大学医学部附属病院 心臓血管外科の主任教授で日本低侵襲心臓手術学会 (J-MICS)の副代表理事も務める下川 智樹(しもかわ ともき)先生に、MICSについて詳しく伺った。
MICS(ミックス)とは“Minimally Invasive Cardiac Surgery”の頭文字を取った略語で、日本語に訳すと“低侵襲心臓手術”となります。低侵襲とは「体への負担が少ない」ということ。つまり、患者さんの負担をできる限り少なく抑えた心臓手術です。
従来の心臓手術は、胸の真ん中を縦に通る胸骨を切り開く“胸骨正中切開法”(開胸手術)で行われていました。この手術は心臓が動いている状態では手術がしにくいため、人工心肺装置を使っていったん心臓の鼓動を止める必要があります。これらの処置も、体への負担は非常に大きくなります。
近年の手術手技や技術の進歩によって、肋骨の間を小さく切って行う「小切開手術」「内視鏡手術」「ロボット支援手術」など、開胸手術に比べて低侵襲な手術が登場しています。これらをまとめてMICSと呼んでいるのです。
ロボットによる手術
実は、切開の幅が小さいからといって、必ずしも体の負担が軽くなるとは限りません。切り開く範囲が小さいと医師の視野が狭まり、手術の時間がかかりやすくなります。手術時間が長くなるほど患者さんの負担は増してしまうため、傷あとが小さければ低侵襲というわけではないのです。また、見える範囲が狭くなるために手術中のトラブルが起こるリスクが高くなる可能性がある点にも留意が必要でしょう。
本当の意味での低侵襲を目指すなら、テクノロジーの進歩が欠かせません。内視鏡はいわば見る部分、“目の技術”の進歩で、胸を数cm切った傷から内視鏡(カメラ)などの器具を挿入して手術を行います。現在では4Kの画質で、リアルな3D映像を見ることができる機器もあります。
広い意味ではロボット支援手術も内視鏡手術の一種ですが、内視鏡が“目の技術”の進歩なら、ロボットは“手の技術”の進歩といえます。
内視鏡手術では、人間でいう手首の動きができません。たとえばハサミを使うとしたら、一定の角度でしか切れないので、違う角度で切りたければ内視鏡を入れ直すといった作業が必要になります。
対してロボットには関節に相当する部分が多く、操作方法さえ覚えてしまえば人の手首よりも自在に動かすことができます。ただし、ロボットで見られる映像はハイビジョン程度なので、画質としては最近の内視鏡のほうが圧倒的に優れています。
今後、内視鏡の“見る技術”とロボットの“手の技術”が融合したサポート機器が開発されれば、理想的といえるでしょう。
ロボット支援下手術
MICSが行える病気(適応疾患)としては、以下のようなものがあります。
ただし、「この病気であればMICS手術ができる」といった厳密な基準ではありません。たとえば冠動脈バイパス術(心臓の表面を覆う冠動脈の狭くなった部分を改善するため、患者さんの他の部分から採った血管をつなぐ手術)でも、吻合(ふんごう)箇所が多かったり、弁の形成箇所が複数あったりすると、MICSでの手術は難しくなります。
また、動脈硬化が進んで血管の状態がよくない方、心機能が低下している方など、MICSのリスクが高く従来の胸骨正中切開手術法のほうが適しているケースもあります。
MICSは高齢の患者さんにも行えますが、80歳以上になると多くの方に動脈硬化や心機能の低下がみられるので、75~80歳くらいまでが適応といえるでしょう。
MICSを希望するなら、信頼できる医師のいる病院を選びましょう。
J-MICS 日本低侵襲心臓手術学会では認定医、指導医という資格を設定し、取得した医師のリストを公開しています*。また、日本内視鏡外科学会でもロボット支援手術に関する技術を認定するロボット支援手術プロクターという制度が制定されています**。病院を選ぶ際には、これらの資格を保有している医師がいるかを確認するとよいでしょう。
一般的には手がけた症例数の多い医療機関のほうが、より多くのノウハウを蓄積しているといえるため、ホームページ上に公開されている実績を参考にするのも1つの方法です。MICSにもリスクはありますので、病状や年齢、体力、社会的な影響などを踏まえて総合的にMICSの適応を判断してくれる医師を選ぶことが大切です。
* https://j-mics.jp/application/list.html
** https://www.jses.or.jp/modules/robot/index.php?content_id=3 ページ下部にプロクターリストあり
心臓手術は、手がけた症例数が多いほど医師の技術も上がります。心臓手術の今後のためには、実績のある医師を増やしていくことが重要です。
たとえば日本とドイツを比較してみると、年間の心臓手術件数は同程度ですがドイツでは医療機関が集約されており、1施設あたりの件数は1000件を超えています。日本でこの件数の心臓手術を行っているのは、一部のハイボリュームな医療機関のみです。
高度な心臓外科手術についてはある程度集約化したほうが、技術の進歩や後進の育成において効果的です。しかしこれを実現するには、居住地にかかわらず適切な手術を受けられるようドクターヘリなどのインフラ整備が欠かせません。
今後も技術やテクノロジーの進歩によって、手術の低侵襲化は進んでいくと考えられます。医師の技術力の底上げと切れ目のない医療体制の整備の両立のため、全国的に医療体制を見直す必要に迫られているといえるでしょう。
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