岸和田リハビリテーション病院病院長 喀血・肺循環センター長 石川秀雄先生
突然、咳と共に血を吐き出す「喀血(かっけつ)」。時に窒息や呼吸不全を引き起こし、入院患者の約1割が命を落とすという危険な症状だ。
その喀血治療に、ここ数年で大きな変化が起きている。かつては危険で再発も多い一時的な治療だったのが、コイルを用いたカテーテル治療の登場によってより安全で根治を目指せる「標準治療」へと大きなパラダイムシフトを遂げた。
しかし、その新しい常識はまだ多くの医療現場に浸透していない現実があるという。現在の喀血の治療法と現場の課題、そして患者が知るべき選択肢について、岸和田リハビリテーション病院病院長で、喀血・肺循環センター長の石川 秀雄(いしかわ ひでお)先生に話を伺った。
喀血は、気管支や肺から出血する、命に関わる危険な症状です。胃や食道などの消化管から出血する「吐血」と混同されやすいのですが、この2つは危険性の種類が異なります。吐血は、大量に失血した場合にショック症状となり、血圧が低下して全身状態が悪化することがあります。対して、喀血の恐ろしさは、たとえ出血が少量でも血液が気道に詰まって窒息を引き起こす可能性がある点です。
喀血で入院される患者さんは年間数万人に上ります。そのうち約1割が入院中に亡くなっているというデータがあり、喀血は決して珍しい症状ではありません。さらに、一度に大量に出血するケースだけでなく、何度も喀血を繰り返す「慢性喀血」に苦しむ患者さんも少なからずおり、「いつまた血を吐くか分からない」という恐怖は患者さんのQOL(生活の質)を著しく下げてしまいます。
そんな喀血の治療では、2022年の春に欧州心血管IVR学会(CIRSE)が世界で初めての気管支動脈塞栓術(きかんしどうみゃくそくせんじゅつ)(BAE)ガイドラインを発刊したことで、パラダイムシフトが起きました。日本でも2021年秋に日本呼吸器内視鏡学会が丹羽 崇(にわ たかし)先生を座長とする喀血ガイドラインワーキンググループを立ち上げ、2024年11月に「喀血診療指針」を公表し新しい診断・治療方針が示されました。これはBAEだけでなく喀血全般に対する学際的で包括的な治療指針として世界で初めてのものであり、2025年4月には書籍版も発刊されました。私もガイドライン作成委員会委員の1人です。特に従来の治療から大きく変わったのが止血のために使う医療材料(塞栓物質)の進歩で、ポイントは次の2点です。
1点目は止血効果の持続性です。BAEでカテーテルを使って血管を塞栓(ふさぐこと)する際、とくに我が国ではこれまではゼラチンスポンジという、のりのような塞栓物質を使用するのが主流でした。しかしゼラチンスポンジは4~6週間ほどで体内で溶けてなくなってしまうため、治療しても血流が再開し再出血するケースが後を絶たなかったのです。
2点目は安全性です。BAEによる重大合併症として脊髄(せきずい)への血流が遮断されることで起こる脊髄梗塞(せきずいこうそく)による下半身麻痺・直腸膀胱障害がありますが、我々岸和田リハビリテーション病院の喀血・肺循環センターと東京大学康永研究室の共同研究にて、塞栓物質としてプラチナ製のコイルを使用した症例に比べて、ゼラチンスポンジや、海外でよく使われるNBCA(医療用瞬間接着剤)では有意に脊髄梗塞が多いという論文を発表しました。この論文は『Radiology』という放射線科領域で権威のある医学雑誌に掲載され、関係領域に大きなインパクトを与えました。
新しい治療方針では、塞栓物質としてゼラチンスポンジに代わり、紹介した論文の内容からも分かるようにプラチナ製の細いコイルを使用します。当初は脳動脈瘤(のうどうみゃくりゅう)の治療目的で開発された塞栓物質です。コイルは体内で溶けることがないため、喀血の根治が目指せるようになります。
また懸念される脊髄梗塞に関しても、世界的ハイボリュームセンターである岸和田リハビリテーション病院の喀血・肺循環センターで行った3800手技を超えるコイルによるBAEでは、1例も起きたことがありません(2025年8月時点)。
我々は10本以上の査読英語論文を出版してきましたが、このうち3本が先ほど述べたCIRSEによるガイドラインでも引用され、「コイル治療はゼラチンスポンジやNBCAよりも脊髄梗塞のリスクが低く、また治療成績も良好で、再喀血に対する再治療も97.7%で成功した」ことが示されました。CIRSEガイドラインにもゼラチンスポンジは溶けてしまって効果が一過性なので単独での使用は推奨しないと明記されています。
日本IVR学会の「血管塞栓術に用いるゼラチンスポンジのガイドライン2022」(2024年改定)には、BAEにゼラチンスポンジ使用を推奨するかという設問 (Clinical Question)に対し、推奨度は「弱い推奨」、エビデンスの強さは「低い」と明記されています。
喀血治療のパラダイムシフトとしてもう1つ見逃せないのは、治療の対象が広がったことです。
これまでは命の危険が迫るほどの大量喀血が起きた際、いわば救命のための“最後の砦”として脊髄梗塞のリスクを覚悟のうえゼラチンスポンジを使ったBAE治療が行われていました。しかし、『Radiology』に掲載された我々の論文で示したように、脊髄梗塞の発症率はゼラチンスポンジで0.2%、NBCAでは0.7%であったのに対し、コイルでは1例のみの0.06%(1/1577)であったのです。しかも論文の性質上記載はしていませんが、私の考えではコイルでは原理的に脊髄梗塞が起きないはずで、コイルによる塞栓で発症したこの1例は旧来のシート型ゼラチンスポンジ併用例ではないかと推測しています。
このようにコイルによるBAEは安全性が高いことから、少量の喀血を繰り返す患者さんに対しても計画的に治療を行う「待機的治療」ができるようになりました。先述のCIRSEガイドラインでは、このような症例もBAEのよい適応である、なぜなら大量喀血の予兆といえるからであると明記されたのです。慢性の喀血に悩まれている患者さんにとって、この点は大きな変化だといえるのではないでしょうか。
ただ、現場ではBAEを“大量喀血に対する緊急の止血手段”と捉える傾向がなお残っており、新しい治療方針が広く共有されるまでには時間がかかっている状況です。
喀血で入院する患者さんは、CIRSEの考えでは基本的に全例BAEの適応といってよいですが、このうち喀血の標準治療であるBAEを受けられたのが8%程度、さらにその中でコイルが使用されたのは15~20%程度で、逆に70%もがゼラチンスポンジを使用していました。その理由は、IVR医(血管造影装置やCTなどの画像を見ながらカテーテルを操作する治療を行う放射線領域の医師)が脊髄梗塞のリスクを恐れてBAEをあまり実施したがらないこと、BAEを専門的に実施できる術者が少ないこと、コイルによるBAEはより安全であるということが呼吸器内科医にもIVR医にも十分に周知できていないからです。
これについては、私自身、15年ほど前に経験した忘れられない出来事があります。ある放射線科領域の研究会に招聘(しょうへい)され、喀血のコイル治療について特別講演した際に、ベテランの放射線科医から「研修医の頃から、コイルはBAEには禁忌だと教わってきた。エビデンスもないのになぜコイルを使うのか」と厳しく問いただされたのです。その時点で我々は十分な治療成績を挙げていましたが、それを論文化してエビデンスを構築しないと彼らを説得できないと改めて思いました。これを機に、我々は治療成績を査読を経る英語論文として継続的に報告し、コイルの優位性を示すことにつなげることができました。
ゼラチンスポンジによる治療は、出血点近辺を塞ぐことを目指したものです。それに対しコイルによる治療では、コイルを出血点よりも手前に置きます。ゼラチンスポンジによる治療の旧来の常識を踏まえると、「出血している血管の出血点を完全に塞がなければ意味がない」「出血点の手前でコイルを詰めると、再治療時にその先の出血点にアプローチできず、もし再出血が起きたときに困るのではないか」といった見解が示されることもあります。しかし我々が長期成績の論文で示した治療成績(治療1年後に再喀血がなく追加の止血処置を要さずに経過した割合90%、2年後86%)や、再喀血機序の論文で示した再治療可能率(97.7%)をみれば、コイルの治療に優位性があると言えるのではないでしょうか。
実は、新しい治療法である「コイルによるBAE」は、国内だけでなく世界的にも十分に広がっていません。実際、アメリカでもコイルBAEアレルギーがあります。
我々の『Radiology』掲載論文に関心を寄せたニューヨークのIVR医とZoomでディスカッションをしたことがあります。彼自身がBAE術者として脊髄梗塞を1例経験し、非常に悩み、つらい思いをしたことから、コイルでのBAEは脊髄梗塞リスクが低いという研究結果を広め、コイルBAEアレルギー(“アメリカンdogma”と彼は呼んでいました)を是正したいと言われていました。
世界中の喀血患者さんのために、コイルによるBAEをもっと普及させていくのが我々の使命であると考えています。
コイルによるBAE治療が広まらない2つ目の理由として、先述のようにそもそもこれを専門的に実施できる医師が非常に少ないという側面もあります。このため我々は呼吸器内科においてBAEを専門的に実施する医師を増やすことを提唱してきました。実際、心臓カテーテル治療は循環器内科医が担い、脳の血管内カテーテル治療は脳神経外科医が実施しています。しかし呼吸器内科医はカテーテル治療の文化がこれまでなかったので、BAE術者の増加スピードは残念ながらゆっくりです。
このため、私は最近になって循環器内科医におけるBAE術者の養成を考え始めました。心臓のカテーテル手術で高い技術とモチベーションを持つ循環器内科の医師であれば、喀血治療にもスムーズにそのスキルを生かすことができるでしょう。またBAEを依頼する側の呼吸器内科医にとっても、同じ内科医同士なので放射線科よりも依頼のハードルが低いメリットもあります。私自身も今でこそ喀血治療をサブスペシャリティとする呼吸器内科医としてお話ししていますが、もともとは循環器内科医として医師のキャリアをスタートし、心臓のカテーテル治療も実施していました。その経験からも、循環器内科医にBAE治療をお任せするという発想は、BAE治療においてよい未来につながり得るのではないかと考え始めました。
実は、術者不足は日本だけの課題ではありません。むしろ我が国は喀血先進国です。日本におけるBAE実施率8%に対し、BAE発祥地であるフランスや医療先進国のアメリカでさえ、わずか2%程度に留まっています。だからこそ、日本で循環器内科医によるBAEの実施構想を実現し、BAE実施率を上げることができれば、これを「ジャパンモデル」として世界に広めていきたいと考えています*。
*石川先生はBAEの技術に関心のある方向けに、2023年に日本呼吸器内視鏡学会の英文誌Respiratory Endoscopy に英語版のBAE技術マニュアルを掲載。(ダウンロード無料。https://www.jstage.jst.go.jp/article/respend/1/2/1_2023-0035/_article)。さらに2025年春に日本医事新報社よりフルカラー253頁の書籍としてssBACEマスターノートというBAEテクニックマニュアル(BAEテクニックだけでなく喀血全般の総論も掲載)を出版し、インターネットの書店などでどなたでも購入が可能です。
この記事を読まれている喀血にお困りの患者さん、そしてご家族の方は、ぜひ主治医に「コイルによるBAE治療ができる施設に紹介してほしい」と伝えてみてください。コイルによる治療を受けられる施設はまだ限られていますが、関東や近畿、四国などを中心に、全国で10施設ほどまで増えています。また、私がいる岸和田リハビリテーション病院では現在はBAEによる喀血の治療を行っていませんが、 ご相談いただけましたらお近くの施設をご紹介申し上げます。hemoptysiscenter〇yahoo.co.jpまでお問い合わせください(〇を@に変えてお送りください)。
なお、私どもえいしん会岸和田リハビリテーション病院は回復期リハビリテーションを専門とする病院として、喀血・肺循環センターを併設し、回復期医療とBAEを含む急性期対応の両立に取り組んできました。
海外の喀血研究者も、我々の論文の Kishiwada Rehabilitation Hospital Hemoptyisis and Pulmonary-Circulation Center という施設名をみて、「リハビリテーション病院でなぜBAE?」と非常に疑問に思っておられるだろうと思います。
しかし、BAEは高度なカテーテル治療である性質上、最新型の血管造影装置や人員体制など継続的な設備投資・運用を前提とします。当院では2025年初夏に長年使用してきた血管造影装置が故障し、更新・維持に伴う負担や体制の継続性を総合的に検討した結果、先ほども述べたように当センターでのBAE実施は終了し、今後は喀血・BAEに関する研究・教育・情報発信を主な役割とする方針といたしました。これまでの取り組みは法人の多大な支援と職員の尽力によるものです。
今後は連携医療機関と協力し、患者さんの適切な治療につながる体制づくりに注力します。これまで蓄積した約3800例のデータをもとに、査読付き英語論文の発信を丹念に続けることで日本全国に新しいBAE治療を広げる活動を進めていく考えです。これによって喀血に悩まれる患者さんが適正にBAEを受けられる環境を、我が国のみならず世界に構築していくことを全力で目指していきます。
取材依頼は、お問い合わせフォームからお願いします。