連載リーダーの視点 その病気の治療法とは

命の最後の砦、「集中治療」──ICUのキャパシティ、日本の強みと弱さとは

公開日

2025年12月26日

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2025年12月26日

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2025年12月26日

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東京曳舟病院 病院長 西田修先生

2020年から2023年の半ばまで続いた、新型コロナウイルスの流行。
記憶に新しいコロナ禍は、「ICU(集中治療室)」「人工呼吸器」「ECMO(エクモ)」といった言葉を日常に押し上げた。

だが、その実態をどれほどの人が理解しているだろうか。
重篤な患者が集まる「命の砦」は、単に高度な機器が並ぶ場所ではない。そこには、臓器や診療科の垣根を越えて全身を管理し、命のバランスを保つ「集中治療」という専門分野が存在する。

東京曳舟病院(東京都墨田区)の病院長を務める西田 修(にしだ おさむ)先生は、日本集中治療医学会の理事長を2020年3月から2024年3月まで務め、この分野の体制構築に尽力してきた1人だ。
コロナ禍を経て浮き彫りになった課題、そして「集中治療による救命の先にある社会復帰」について、詳しくお話を伺った。

集中治療とは、臓器別医療を横断する「多臓器不全」の医療

「集中治療」や、見出しにある「多臓器不全」と聞いても、すぐにはピンとこないかもしれません。多臓器不全とは、「複数の臓器が同時に機能不全に陥り、生命の維持に障害を及ぼす状態」のことです。

まずご理解いただきたいのは、この「多臓器不全」は、100年前には存在しなかった病態だということです。かつては、人は息ができなくなれば酸素が足りなくなって亡くなり、おしっこが出なければ尿毒症で亡くなる、というように1つの臓器が機能しなくなった時点で命は尽きていました。

しかし1940年代以降、人工呼吸器、透析装置、そしてECMOといった医療用生命維持装置 (ライフサポート機器)が実用化され、「肺が機能しなくても、腎臓が止まっても、命が続いている状態」が現実になりました。これが現在の「多臓器不全」であり、集中治療が主に向き合う領域です。

集中治療には、医療と研究の2つの側面がある

私は、集中治療には2つの側面があると思っています。1つは、今述べたようなライフサポート機器を駆使して、重症患者さんの全身管理を行う「集中治療“医療”」。もう1つは、臓器と臓器がどう連携しているのか、その複雑な生命のシステム設計を解き明かす「集中治療“医学”」です。

こうした医療の進歩は、それ以前は1つの臓器が止まればそこで死に至っていた状況を大きく変えました。繰り返しますが、今は臓器機能が停止しても機械で代替しながら生き続けることができるようになっています。
そうなると、1つの臓器だけを見るのではなく、「人体の本当の仕組み」、たとえば臓器同士がどう連携しているのか(これを「臓器連関」といいます)を把握し、全身を横断的に管理、治療することが求められるようになります。
その際、私たち集中治療を専門とする医師は治療において、臓器別の専門家たちを束ね、今この患者さんにとって何が最適かを判断する「オーケストラの指揮者」のような役割を担います。

一方で、臓器の連携を把握して体全体の動きを研究すること自体も、引き続き集中治療に関わる医師の役割となっています。

集中治療の研究の側面

前の章で、集中治療には「医療(臨床)」と「医学(研究)」の側面があると申しました。ここでは、「集中治療医学」が何を明らかにしてきたか、その一端をご説明しましょう。
これは、先ほどお話しした「臓器機能が停止しても生きている状態」を日々管理し、研究するなかで、私たちが学んできた「人体の設計図」とも言えるものです。

たとえば「腎臓」というと、皆さんはおしっこを作る場所というイメージが強いのではないでしょうか。もちろんそのとおりで、腎臓は1日に約150Lもの原尿(おしっこの元)を作り、そのうち約149 Lを“再吸収”して、残りの約1 Lを排泄している、非常にダイナミックな臓器です。

ですが研究を進めると、それだけではなく、腎臓は血を作るホルモン(エリスロポエチン)を出したり、血圧や電解質を調整したり、さらには免疫にも深く関わっていることが分かってきました。
この構造も巧妙で、血液から老廃物を濾(こ)し取る「皮質(入口側)」は高圧ですが、濾した原尿から必要な栄養や水分を再吸収する「髄質(出口側)」は低圧になっており、そこが免疫の要所にもなっているのです。こうした腎臓の多面的な役割を(研究によって)理解していることが、単に透析装置を回すだけでなく、貧血や血圧の管理まで含めた全身治療につながります。

集中治療が解き明かしたこと

「肺」も同様です。もちろんガス交換が主な仕事ですが、それだけではありません。
空気と接する側では外界から入ってくる細菌やウイルスを防ぐ免疫の「門番」として機能しています。さらに、体内で血液と接する側でも重要な役割があります。心臓から送り出された全身の血液は全て必ず肺を通過し、血液中にできた血栓や、体内に入り込んだ異物を濾し取る「関所」として機能しているのです。

そして、集中治療の研究者が突き止めた重要な事実として、肺の血圧(肺動脈圧)は、全身の血圧(約100mmHg)に比べて約20mmHg未満と、極めて低く設定されています。これは、血流をゆっくりにすることで、酸素と二酸化炭素の交換(ガス交換)に必要な「接触時間」を稼ぐためです。このゆっくりした流れが、「関所」としての免疫機能を果たすうえでも役立っています。

この関所の低圧構造は、腸管や肝臓でも見られます。つまり、「外界からの侵入物と接する臓器(腎臓の出口側・肺・腸管・肝臓)は、あえて血流を低圧にして滞留させ、免疫機能や物質交換の効率を強化する」という、人体の共通した設計思想が見えてきました。

このような臓器連関や設計思想を研究によって解き明かし、それを日々の治療に役立てていくことこそが、集中治療の「研究」なのです。

人工呼吸器をつなぐだけでは救えない

次に、治療での役割をお話ししましょう。

コロナ禍で有名になった、「ARDS(急性呼吸窮迫症候群)」という病態があります。
ARDSが起こると、肺はレントゲンで真っ白になり、本来3億から5億個ある肺胞(酸素を取り込む小部屋)のうち、ごく一部しか機能しなくなります。まるで、大人の肺が乳児の肺(ベビーラング)と同じくらいの大きさにまで追い込まれた状態です。

この状況での人工呼吸器管理は、非常に難しいものがあります。
そもそも、私たちが普段している自然な呼吸は、胸の中を陰圧(いんあつ)にして空気を“吸い込んで”います。対して人工呼吸器は、機械の力で空気を“押し込む”(陽圧・ようあつ)。この「押し込む」という行為自体が、実は体にとって不自然で、繰り返せば硬くなった肺を傷めてしまう(バロ・ボリュトラウマといいます)危険があるのです。

さらに、「酸素毒性」という問題もあります。肺が機能しないので酸素濃度を上げたいのですが、高濃度の酸素はそれ自体が体をサビさせる(酸化ストレス)毒にもなります。生きるために必要なのに、増やしすぎると組織を壊してしまう。まさにジレンマです。

だからこそ私たち集中治療医は、患者さんの呼吸の状況を確認しながら、「できるだけ少ない換気量」「最小限の圧」で、なおかつ「最低限生命を維持できる」という、針の穴を通すような設定を必死で探ります。
ただスイッチを入れるだけでは、到底救えることはできません。コロナ禍の初期、医療の仕組みやリソースが整っているはずのニューヨークで人工呼吸器管理の成績が振るわなかったという事実があります。その背景には、こうした専門的な管理ができる人材が患者さんの数に対して圧倒的に不足したことが一因としてありました。ちなみに日本では専門家が丁寧に管理することで、比較的高い生存率を保つことができました。

日本のICUは「人」が足りない

とはいえ、日本における集中治療の医療について、問題がないわけではありません。

コロナ禍では、「人工呼吸器」が足りないと盛んに報道されました。しかし、実は人工呼吸器自体は全国に4万台から5万台もあり、足りていました。

足りなかったものの1つがベッドです。日本のICUのベッド数は、約6500床から7000床といわれています(2024年4月時点)。そして、平時にはその7割から8割が埋まっています。
コロナ禍では、全国の重症患者さんが1日あたり1000人前後を超えるあたりから、一気にICUでの医療が逼迫(ひっぱく)する構造的な問題がありました。
そして、もっと足りなかったのは「人」でした。

アメリカには「人」として、クリティカルケアナース(集中治療を専門とする看護師)が約9万2000人います(2021年度)。対して日本の集中治療・救急領域の認定看護師は、合わせても約3000人(2024年12月時点)。桁が違います。
日本ではジェネラリスト(何でも広くできる人材)の育成が重視されてきましたが、こうした有事には専門性を持った人材の層の薄さが露呈してしまいました。

対照的だったのがドイツです。ドイツは2009年の新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)の教訓から、詳細なシミュレーションを行い、ICUを増強していました。それだけでなく、ICUのベッドや人工呼吸器、ECMOの稼働状況を国がリアルタイムに可視化し、いざというときに一般病棟をICUに切り替えた場合の補償スキーム(金銭的な手当)まで事前に決めていたのです。

日本の集中治療のレベルそのものは高い。しかし、それを支えるキャパシティ、特に「人」の面での余力が非常に少ない。それが、コロナ禍で浮き彫りになった日本の強みと弱さです。

9000床構想と“可変病棟”という発想

では、どうすればよかったのでしょうか。
「箱(設備)」については、私たちはDPC(診療群分類別包括評価)という医療費のデータを解析し、ある事実に着目しました。それは、平時でさえICUの外(一般病棟など)で、ICUに入っていてもおかしくないレベルの治療を受けている患者さんが約2000人いる、ということです。

まず、この2000人を平時からICUで受け入れられる体制、つまり合計9000床の体制を目指すべきだと考えました。ただ、ICUを単純に増やすのはコストも人員も大変です。そこで考えられるのが、「可変病棟」を併用することです。

普段は一般病棟として使っているけれど、パンデミックなどの有事には、即座にICUに“変身(=転換)”できる病棟をあらかじめ作っておくのです。そのためには、病院を新設・改修する段階で、ICUレベルの強力な電源容量、医療ガス、あるいは陰圧設備といったインフラを壁の中に仕込んでおく必要があります。

「人」としては、一度ICUを離れた看護師の名簿化と再教育、あるいは看護師や臨床工学技士の専門性を高める上位資格制度を整備する必要があります。さらに、マンパワー換算での稼働指標を導入したり、診療報酬や補助金を設計したりすることで、いざというときの金銭的な補償がある形にしておく。

次の感染症危機で同じことを繰り返さないために、今からこうした仕組みの組み替えを進めていく必要があるでしょう。

救命の先にある「社会復帰」 集中治療後症候群とは

コロナ禍が収まって数年経った今、私たち集中治療に関わる者が力を入れていることがあります。それは、救命のその先の整備です。

実は、ICUで何日も人工呼吸器が必要になるほど重症だった方では、1年後も自立した生活に戻れていないケースが相当数あることが分かってきました。
ICUで長期間鎮静され、寝たきりで治療を受けることで、筋力が失われるだけでなく、認知機能の低下や精神障害(うつ、PTSDなど)を引き起こすことがあります。我々はこれを「集中治療後症候群(PICS:ピックス)」と呼んでいます。

命は助かったものの寝たきりの方が増えるだけでは、社会全体として健全とはいえません。集中治療は救命の先にある社会復帰まで見据えるべきでしょう。
そうした強い問題意識から、私は日本集中治療医学会でPICS対策の委員会を立ち上げました。

委員会では、ICUにいる間から、たとえ人工呼吸器やECMOが装着されていても早期にリハビリテーションを開始する。あるいは、栄養管理や鎮静の方法を最適化する。
こうした取り組みが病院現場で「当たり前」になるよう、エビデンスを集め、診療報酬(医療の公定価格)に組み込む活動を続けています。

このような活動を私が始めた背景として、そもそも私は、患者さんを尊重し、社会復帰していただける治療を行う必要があると強く考えていました。
また近年、重症になった私の母を治療した際、私自身が94歳の母を集中治療まで見据えて治療しました。一時はどうなるかと思いましたが、血漿交換などの治療を行ったうえ、母には食欲があり、「食べたい」という意欲がある人は助かると信じて栄養管理なども含めた集中治療を行ったところ、今96歳になりますが元気に暮らしています。

多くの方が望む、いわゆる“ピンピンコロリ”を万が一のときにも支えられる。それが集中治療のもう1つの大事な役割だと強く感じています。

集中治療科専門医という「指揮者」――病院を選ぶときに、何を見ればよいか

あらためて、集中治療医は「何でも屋」ではありません。全身の臓器が破綻しかけているなかで、「今、この瞬間に何を最優先で守るべきか」を判断し、さまざまな専門家を束ねる「指揮者」です。

外傷であろうと、感染症であろうと、あるいは手術後の合併症であろうと、重症患者さんは皆、似た状態(多臓器不全)になります。その共通する“重症の姿”に、診療科の垣根を越えて横断的に向き合うのが私たちの専門性です。

ある学会の調査では、胆道や肝胆膵といった難しい手術の後、合併症が起きてしまったときのアウトカム(治療成績)が、その病院に集中治療の専門医がいたかどうかで分かれた、というデータも出てきています。

こうした専門性の重要性を訴え続け、2022年にようやく、集中治療科が国の医師届出票に正式に記載されるようになりました。今後は、日本集中治療医学会が認定した集中治療科専門医がいるかどうかが、患者さんの病院選びや、診療報酬にも直接関わってくる流れになるでしょう。

これを読んでいる皆さんが、もしご自身やご家族が大きな手術や重い病気で入院される際、もちろん「手術の上手さ」は重要です。しかし、それと同時に、「術後を支えるICUの体制が整っているか」「集中治療の専門医や看護師がしっかりいるか」といった視点も、病院を選ぶための1つの基準になるのではないかと思います。

私たちの学会では、「命のために。生きるのそばに。」というタグラインを掲げています。これは、「命を救う」という最後の砦の役割と、その先にある「社会復帰(生きる)に寄り添う」という2つの決意を表しています。皆さんが安心して暮らせるよう、私たちも専門性を高め、体制を整える努力を続けていきます。
 

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