手術支援ロボット「ダヴィンチ」の登場によって、前立腺がんの治療における手術の適応は大きく変わってきました。その中でも高リスクと呼ばれる症例では、骨盤内の微小なリンパ節転移の可能性が高いことがわかってきました。こうした高リスク群に対してより根治的な手術を可能にするため、ダヴィンチの最新バージョンXiに搭載された新機能を活用した取り組みが行われています。帝京大学医学部附属病院泌尿器科教授の山口雷藏先生にお話をうかがいました。
ダヴィンチという手術支援ロボットが登場したことによって、前立腺がんの治療における手術の適応は大きく変わってきています。ダヴィンチを使うことによって細かい手技が可能になり、以前よりも出血量の低下、勃起機能の温存や尿失禁の軽減などができるようになってきたからです。
従来の開腹による一般的な手術では1,000cc前後の出血は避けられず、合併症として尿失禁もかなりの高率で見られました。しかしロボット手術では出血量が200〜300ccに減り、日常生活に支障を来すような尿失禁の率も減ってきています。
ロボット手術の導入初期においては、まず前立腺がんの中で低リスクと呼ばれるものが最初の適応となりました。しかし、低リスク前立腺がんの中には必ずしも直ちに治療を必要としないものもあるため、後にこうした状況が見直され、現在は高齢者の低リスクの前立腺がんに対してはWatchful Waiting、あるいはActive Surveillanceと呼ばれる待機療法・監視療法が一般的になっています。そして、リスクが中程度以上のものをロボット手術の適応にするというのが現在の流れとなっています。
我々が今、前立腺がんに対して行っているのは、中程度から高リスク群に入ってくるようながんに対するロボット手術です。高リスクの前立腺がんには画像では捕まえられないような被膜外浸潤や微小なリンパ節転移が診断時にすでにある可能性が高いとされ、手術をした後でPSA failureと呼ばれるPSA値の再上昇、つまり転移・再発がみられることが多いといわれていました。
PSA(Prostate Specific Antigen:前立腺特異抗原)は前立腺に特異的なたんぱく質の一種で、前立腺がんになると血液中のPSA値が上昇するため、診断や治療効果判定の指標として用いられます。手術後にこの値が再上昇すると、前立腺がんの転移・再発が疑われるということになります。したがって、高リスク群の患者さんに対しては、初回治療として手術よりも、ホルモン治療を併用した前立腺に放射線を照射する治療を行ったほうがよいのではというのがこれまでの考え方でした。
我々が前立腺がんの高リスク群に対して放射線治療やホルモン療法ではなく、あえて手術を行うにあたっては、いくつかの課題がありました。前立腺局所の被膜外浸潤に対しては、前立腺周囲の組織も出来るだけとるという広汎前立腺摘除という術式がまず試みられましたが、手術で摘出した高リスク群の検体を病理学的にみてがんが取り切れているはずなのに、それにもかかわらず術後にPSA の値が上がってくる症例がみられるという状況があり、それだけでは思ったほどの効果が得られませんでした。
そのような症例に対しては術後に放射線治療が行われます。その際、通常はいわゆるサルベージ(救済的治療)として前立腺を摘出した部分だけに放射線を照射するのですが、それではなかなかPSA failureが改善されない場合があります。しかし、骨盤内を含めて放射線を照射すると、その後のPSAのコントロールがよいかもしれないという報告が出てきました。
そういった事実から、高リスク群の前立腺がんは、手術時にすでに骨盤内に微小なリンパ節への転移がある可能性が高いのではと考えられるようになってきました。そこで我々は、骨盤内のリンパ節をしっかりと郭清(かくせい・転移の有無にかかわらずリンパ節を取り除くこと)すれば、結果的に手術の成績も良くなるのではないかと考えたのです。
乳がんなどではセンチネルリンパ節といって、リンパの流れを見て最初に集まるリンパ節だけを調べ、そこに転移がなければそれ以上の広い郭清は必要ないという考え方があります。泌尿器科領域でいえば陰茎がんでは同様の考え方が成り立っていますが、前立腺がんでは果たして同じことが成り立つのかどうか、そもそも前立腺がん自体が骨盤内でどのようにリンパ節転移を来していくのかということすらわかっていませんでした。今までは、前立腺からのリンパの流れはまず閉鎖節、外腸骨といったところに入っていくと考えられていて、同部のリンパ節を郭清していましたが、そこで転移が見つかる確率は非常に低かったのです。
前立腺がんの開腹手術は、すでに述べたようにさまざまな合併症の関係で今や標準治療ではありません。そこで我々は現在の標準治療であるダヴィンチによるロボット手術で、前立腺からのリンパの流れを可視化することができないかと考えました。何らかのナビゲーションの下でリンパ節が郭清できれば侵襲も少なくできますし、あらかじめ自分たちが郭清するべきだと考えていたところ以外にも転移している部分があることがわかれば、それを郭清しより根治性が高まる可能性があると考え、臨床試験を企画し現在行っているところです。
以前からこうしたリンパの流れを可視化する取り組みは少しずつ行われていたのですが、現在欧米ではそれが再認識され色々な方法で行われるようになりつつあります。この2016年の2月にドイツのベルリンで、前立腺がんのセンチネルリンパ節についての第1回コンセンサス会議が行われました。
そこで述べられていたのは、今後前立腺からの骨盤内リンパ流が明らかになり、侵襲の少ないリンパ節郭清の手技が確立すれば、これまでのように高リスク群に対してホルモン治療併用の放射線治療だけではなく、年齢的に若い患者さんたちに対しては、手術も根治性の高い治療手段になる可能性があるということでした。
開腹手術に対して行われてきた研究によれば、これまで前立腺がんがまず転移すると考えられていた閉鎖節(へいさせつ)と呼ばれるリンパ節の部分にはあまり転移がなく、実は内腸骨領域や内外腸骨分岐部、症例によっては仙骨前面というような、今までまったく郭清してこなかったようなところに転移があるということがわかってきました。そこでダヴィンチを使ってそういった部分のリンパ郭清を出来るだけ侵襲少なくしっかり行っていこうというのが我々の今のアプローチなのです。
手術支援ロボットのダヴィンチは発売以来S、Si、Xiとバージョンアップを重ねてきており、たしかに最新機種のXiのほうがより細かい手技が可能になっているという部分はあります。しかしXiの最大のメリットは蛍光カメラが搭載されたという点にあります。このカメラを使うことによって、実際のリンパの流れを直接見ることができるという点が非常に重要であり、ダヴィンチXiを使うことによって初めて、今までできなかったリンパ節郭清を出来るだけ確実に、侵襲少なく行う前立腺全摘が可能になったのです。
これはICG(インドシアニングリーン)という蛍光色素を前立腺に直接注入し、蛍光カメラで観察したところです。ICGは本来、血管の中に入れて肝臓の機能を調べるために作られた薬剤ですが、我々はそれを前立腺に注入してリンパの流れを見るために使っています。
いずれもダヴィンチで見える術野ですが、左側が通常の白色光の下で見たものです。この状態ではリンパの流れもセンチネルリンパ節もまったくわかりませんが、ICGを前立腺に注射してそれを特殊な蛍光カメラで見ると、右側のようにリンパの流れる経路や染まっているリンパ節があることがわかります。
従来のリンパ節郭清ではどこにリンパ節があるかわからないので、この血管や神経の周りの脂肪を全部取り除かねばならないのですが、その結果、広範に郭清すればするほど組織の浮腫や、周辺臓器の血流障害、神経障害など合併症が増えることになります。
しかし、このようにあらかじめ視覚的にわかっていれば蛍光で染まっている部分のリンパ節だけを取って侵襲を少なくしていくことができます。逆に、従来であれば郭清する予定のなかったところに、こうして染まっているリンパ節が見つかれば、それを郭清することで根治性を上げられるのではと期待しています。
元 帝京大学医学部附属病院 泌尿器科・前立腺センター 科長代行/教授
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