前立腺は手術が難しい臓器であることを『前立腺とは。生殖に必要な臓器』で解説しました。前立腺の代表的な病気に、前立腺がんがあります。前立腺がんには手術と言う面からだけでも様々な治療法がありますが、その手術治療法は長年の研究と開発を経て大きく発展してきています。前立腺がんの手術治療の歴史とその変遷について、山王病院泌尿器科医長の大久保秀紀先生にお話をお伺いしました。
前立腺がんは、初期には自覚症状がほとんどなく、PSAという腫瘍マーカーが導入される以前は、がんが発見された時にはかなり進行してしまっていることも少なくありませんでした。また、進行速度がゆっくりで、悪性度も様々なパターンがあります。
※PSA…前立腺特異抗原(prostate-specific antigen)の略語。精液中に分泌されるタンパクの一種で、前立腺の上皮細胞から分泌される。前立腺に異常があると血液中にPSAが大量放出されるため、血液中の濃度が上昇する。健常者のPSAの値はだいたい2ng/ml以下だが加齢に伴って増加する傾向にある。一般的には4ng/ml以上で「PSAが高い」と診断される。
前立腺がんの治療における時代の流れを「手術」ということに限って比較すると、治療の歴史は最初が開腹手術からのスタートで、技術が進歩するにしたがって腹腔鏡下手術が登場し、のちにロボット支援手術へ移行していったという流れになります。つまり、かつて腹腔鏡下手術もロボット支援手術も実施されていなかった時代は、開腹手術による治療が前立腺がんの治療ではメインでした。
手術リスクの高い開腹手術の次に登場したのが腹腔鏡下手術です。腹腔鏡下手術の最大のメリットは、低侵襲(手術によって受けるダメージが小さいこと)であることです。傷を小さく抑えることによって、術後の患者さんの回復も早くなります。また、出血のリスクも低くなり、腹腔鏡下手術は開腹手術と比較しても患者さんの負担が少ない治療方法だといえるでしょう。
ただし、腹腔鏡下手術は非常に技術的に難しいという難点があります。腹腔鏡下手術は鉗子という器具をお腹の中で操作し、前立腺を取って、それから膀胱と尿道を縫っていきます。前立腺を全摘(すべて取り除くこと)すると、前立腺が元々あったところにはぽっかりと空洞ができます。これではうまく排尿できませんので、膀胱と尿道を直接くっつける(膀胱尿道吻合)必要があるのですが、お腹に数カ所穴を開けて鉗子を挿入するため、鉗子は体の縦軸に沿って入る形になります。
しかし、膀胱尿道吻合は体の横軸に対して縦周りに縫う必要があります。私たちが普段腕を動かす様子を想像していただければわかるかと思いますが、体の縦軸に沿って入れられた鉗子はヒトの手の構造上横周りにしか動くことができません。ですから、膀胱尿道縫合をスムーズに進めることが非常に困難なのです。
もちろん腹腔鏡下手術を行っている病院もありますが、腹腔鏡下手術は言ってみれば限られたエキスパートだけができる手術でした。一人前になるには何100例も手術を経験しないとマスターすることができなかったのです。
腹腔鏡下手術の導入初期である2000年代初頭、前立腺がんにおける腹腔鏡下手術を受けた患者さんが亡くなってしまったことがありました。このように、技術的に難しい腹腔鏡下手術は、開腹手術から進化した術式として世間に広まってきても、そこまで爆発的に広まることはありませんでした。
ロボット支援手術は2012年から保険適用された最も新しい手術方法です。腹腔鏡下手術との最大の違いは、ロボットの鉗子が非常に器用に動くため、人間の手と同じような感覚で糸を縫ったりかけたりができることです。腹腔鏡下手術に比べるととても簡単で、まるで開腹手術を行っているかのような感覚で執刀医は手術に臨むことができます。
そのうえ、お腹にできる傷は腹腔鏡下手術と同じくらい小さい(低侵襲)ことも大きなメリットです。さらにロボット手術の操作はシンプルで比較的楽なため、医師はあまり時間をかけなくてもある一定レベルの技術まで到達できます。具体的には20~50例、少なくとも腹腔鏡下手術のように何百というレベルではありません。
ですから、ロボット支援手術は現在ものすごい勢いで広まってきています。低侵襲なので患者さんの負担も少なく、操作性に富むため医師側の負担も大きくありません。
3Dカメラを患者さんの体内に入れることで、非常に接近して術野を確保できます。遠近感を持ったビジョンでありながら、機能と操作性に長けるため、我々手術をする医師側も比較的簡便に手術を執り行うことができます。
手術時間も、慣れるまでは時間がかかりますが、慣れた医師のもとで手術を受ければ開腹手術と同じくらい、もしくはそれよりも早い時間で手術が終了することも可能です。また、前立腺を全摘すると尿失禁や勃起障害などの合併症が発生する可能性がありますが、そういった合併症も比較的早く回復する傾向にあります。そのため、機能温存の面でもロボット支援手術は有利だと言われはじめています。
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