連載慢性期医療の今、未来

「穏やかな死」も「延命」も―自らの意思で最期の時を選ぶ 尊厳死と「人生会議」

公開日

2021年05月24日

更新日

2021年05月24日

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2021年05月24日

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急病や交通事故によるけがで突然意思表示ができなくなったとき、自分の生き方・死に方をどのように選択するのか。自分自身の最期について考え、希望する医療・ケアの形を事前に示しておくことで「尊厳死」を実現できる可能性があります。病院と在宅医療の現場で数多くの患者さんをみとってきた長尾和宏先生(日本尊厳死協会*副理事長、医療法人裕和会理事長)は「この半世紀の間に医療技術の進歩とともにさまざまな延命治療が可能になった結果、“壮絶な死”が増えた」と話します。尊厳死をかなえるためには何が必要なのでしょうか。

*日本尊厳死協会:1976年の創立以来、終末期における医療選択の権利が保証される社会の実現を目指して活動する市民・人権団体、公益財団法人。リビング・ウィル(終末期医療における事前指示書)を発行し、登録管理を行っている。

※この記事は、日本慢性期医療協会との連載企画「慢性期ドットコム」によるものです。

初めて目にした「尊厳死」

高校生の頃に父がうつ病になり、自ら命を断ちました。それ以来、「死」というものを考えています。医師になって10年ほどは私自身も考えうる限りの延命治療を行い、患者さんから死を遠ざけることに必死でした。そのなかで、肝硬変の末期に食道の血管が破裂して血を吐く患者さんや、末期がんでも人工呼吸器や点滴をつけて管だらけで亡くなる患者さんをたくさん見ました。壮絶な死ばかりだったように思います。

あるとき、延命治療を全て拒否する患者さんがいました。食道がんで口から食べることができず、水だけを飲んでいました。私は「この状態では1週間ほどで亡くなってしまうだろう」と思いましたが、あに図らんやその方は元気になっていきます。体は徐々に痩せていきますが、1日中病院内を歩き回り、亡くなる前日まで病院内のボランティア活動に精を出していました。最期は本人の望んだとおり、穏やかに息を引き取られました。これが初めて目にした「尊厳死」です。

尊厳死と「医師による自殺幇助」の違い

日本では最期の迎え方についてさまざまな言葉があり、使い方の誤りや誤解も往々にして見受けられますので、少し整理しておきましょう。

尊厳死とは、人生の最終段階で余計な延命治療(延命だけを目的とした治療)をせず、自然な経過に任せた先にある死のこと。自然死とほぼ同じ意味です。決して“何もしない”のではなく、早いうちから心と体の痛み・苦しみを取り除く「緩和ケア」を行うことも重要なポイントです。たとえば、植物状態(大脳が機能せず意識はないが呼吸はできる状態)になってしまった方や末期がんの方に対して、本人の意思に基づき、延命治療をせずに苦痛を取り除くなど必要なケアのみを行い自然に最期を迎えたとき、それは「尊厳死」となります。

これに対し、医師による自殺幇助(ほうじょ)とは、自殺をしたいと考える者に医師が何らかの形で協力し、その意図を実現させることです。たとえば処方された薬や毒物、そのほかの行為によって自ら命を絶つことを指します。あくまでも行為の主体は本人であり、意思能力があるという前提です。日本において、自殺幇助は倫理的・法的に許容されていません。

「死は医学の敗北」か

死亡場所(割合)の年次推移

日本では1960年代まではほとんどの人が自宅で最期を迎えていました。つまり、その頃は尊厳死が当たり前の社会だったのです。しかし1970年代後半、自宅よりも病院で最期を迎える人の方が多くなりました。その背景には、医学の発展に伴いさまざまな延命治療が可能になり、「死は医学の敗北」とされるようになったことがあります。こうして昔は当たり前だった尊厳死が、徐々に珍しいものになっていったのです。

亡くなる直前まで大量の点滴を入れ続ければ、水分をうまく処理できずに体中がひどくむくみ、患者さんはとても苦しい思いをします。また、人工呼吸器や胃ろうなどのチューブが体にたくさんつながれた状態になることや、患者さんの苦痛を取り除くために持続的鎮静といって眠らせるような形で最期を迎える場合もあります。これは果たして私たちが望む最期といえるでしょうか。そうではない、自分は無理に延命をされることなく「尊厳死」を望む、という方はどうすればいいでしょうか。

尊厳死をかなえるために必要なもの

尊厳死をかなえるために必要なことは、自らの意思を示す「リビング・ウィル」の準備です。どのようなものか、詳しく説明しましょう。

希望する医療・ケアの形を伝える

尊厳死をかなえるための基盤は、本人の意思です。本人の意思を事前に示しておくための文書を「リビング・ウィル(Living will:生前の意思)」といいます。

リビング・ウィルがあれば、本人が意思表示できない状態になったとしても、希望する医療・ケアの形を家族や医療者・介護スタッフへ伝えることができます。最期をどこで迎えたいか(自宅か病院か)▽大切にしていること(弱った姿を見せたくない、静かな環境で過ごしたい、回復の可能性があるならあらゆる措置を受けたいなど)▽医学的に回復不能と判断されたときに栄養手段をどうするか(口から食べたい、点滴、水分補給だけなど)――といった具体的な希望を表明することも可能です。

写真:PIXTA
写真:PIXTA

リビング・ウィルの書き方

日本ではリビング・ウィルの書式などに規程・制限がありません。そのため、本人の気持ちや意思を自由に書くことができます。フォーマットがほしいときには、日本尊厳死協会が発行するリビング・ウィルを参考にしていただくとよいでしょう。

どのような人が作成する?

急病やけがなどはいつ起こるか分からりません。そのため、心身ともに元気なうちに作成しておくことが大切です。「リビング・ウィルは亡くなる間際の人が書くもの」と考えている方がいらっしゃいますが、そんなことはありません。日本尊厳死協会では15歳以上であれば、誰でも会員になりリビング・ウィルを作成できます。強いて申し上げるなら、人生の折り返し地点、「人生100年時代」と言われる今なら50歳を過ぎた時点で作成を検討するのがよいかもしれません。

写真:PIXTA

作成後も年に1度は意思確認を

本人の気持ちが変わったときには、いつでも内容の破棄・撤回が可能です。病状の変化などにより意思が変化することは十分にあり得るからです。リビング・ウィルを作成した後には、たとえば年の初めや誕生日など、1年に1回くらい意思を確認する習慣をつけるとよいと思います。

リビング・ウィルとACP(人生会議)

リビング・ウィルを作るときには、かかりつけ医や医療チーム、アドバイザーからの説明を聞き、ご家族を含めた話し合いを繰り返し行うことが推奨されています。この話し合いのプロセスを「ACP(Advance Care Planning)」といいます。ACPは、国が付けた「人生会議」という愛称でも呼ばれています。

ACPの本質は、オープン・ダイアローグ(開かれた対話)。本人の意思を尊重し、皆が平等かつ自由に対話すること、そしてその対話を繰り返すプロセスそのものがACPなのです。ACPを行うには、ご家族の理解や協力が欠かせません。しかし、本人とご家族の意見が相反する、あるいはご家族同士の仲が悪かったり疎遠だったりして対話に参加していただけないなど、ときには難しいケースも見られます。このような問題があると本人が穏やかな最期を迎える妨げになってしまうため、ご家族にはできる限り本人の意思を理解し、力添えいただきたいです。

尊厳死の普及啓発に込める思い

私は兵庫県尼崎市にクリニックを開業してから、在宅医療を通じて穏やかな最期をいくつも見て、勤務医として働くなかで自分が目にした壮絶な死が決して当たり前でないことに気づきました。それ以来、「尊厳死の根底にあるのは本人の意思」という考えのもと、尊厳死の普及啓発活動に取り組んでいます。

自分が最期をどのように迎えたいのか。そこには1人1人の思いや考えがあるはずです。この機会にご自身の気持ちを見つめ、意思を伝える方法として残しておく。それが心穏やかな最期に、尊厳死につながると思います。

 

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