連載慢性期医療の今、未来

名田庄地区の「お互いさま文化」が支える地域医療―中村伸一先生が考える「健康」の定義とは

公開日

2023年06月15日

更新日

2023年06月15日

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2023年06月15日

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自宅で最期を迎えたい――。そう願う地域の方々の声に応え、中村伸一先生(おおい町国民健康保険名田庄診療所 所長)は、30年以上にわたって在宅診療に注力し地域の健康を支えてきました。医師になり3年目の1991年、福井県名田庄村(現:おおい町名田庄地区)の診療所へは決して望んで赴任したわけではありませんでした。しかし、名田庄地区の地域の方々との交流が深まり、医師として認められていく中で、この地域で医療に携わることに充実感を覚えるようになっていったのです。地域医療に携わってきた中での発見や、最期まで健康でよりよく生きるための心構えについて中村先生に聞きました。

※本記事は、日本慢性期医療協会との連載企画「慢性期ドットコム」によるものです。

赴任から3年、「お互いさま」文化が変えた人生観

「赴任したからには義務だけは果たそう」と考えていた赴任3年目。私は62歳の女性Aさんのくも膜下出血を見逃してしまいました。

Aさんは約2時間の長距離を自ら運転し名田庄にある自宅に着いてすぐに飲酒して、鍋料理を食べたところ吐いてしまったそうです。21時頃にAさんのおいから往診依頼があった時は、肩の痛みを訴えていましたが、頭痛の自覚症状はありませんでした。念のため、くも膜下出血の可能性を想定しながら、肩に痛み止めの注射を打ち、点滴で体内のアルコール濃度を薄めました。約1時間後、点滴が終わると「おかげさまでよくなりました」とAさんは笑顔を浮かべられたので、くも膜下出血ではないと判断し帰宅しました。

ところが、0時頃になり「やはり様子がおかしいのでもう一度診てほしい」と電話があり、再び往診した時には、すでにAさんの意識がもうろうとしていました。そこから救急車に同乗し、病院で受けたCT検査の結果は、くも膜下出血でした。

「もうこの土地にはいられない」と頭が真っ白になりながらも、責められることを覚悟し謝りました。しかし、Aさんのおいは一言も私を責めなかったのです。それどころか「何度も夜中に呼び出して悪かった」と逆に謝られてしまいました。そして、「こういった間違いは誰にでもある。お互いさまだよ」と慰めの言葉までかけ、許してくれたのです。この言葉に私はとても救われました。幸いなことにAさんは一命を取りとめ、後遺症が残ることもありませんでした。

この経験がきっかけで、私の人生観は180度変わりました。若い頃はとがった性格をしていた私ですが、それからは人を許せるようになり、そして、地域の方たちに何か恩返しをしなければならないと思うようになったのです。

名田庄地区に根付く「お互いさま」の文化

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名田庄地区は、かつて病院がなく、地域の方々は医療機関を容易に利用することができませんでした。そのため、高齢の方たちは地域に医師がいない不便さを経験しています。そのことによって、医療を受けられる環境を維持するための知恵を持っているのではないでしょうか。

私は、世の中によい医師もいなければ、よい患者もいないと考えています。あるとすれば、両者の「よい関係性」だと思います。名田庄地区の方たちは、医師になったばかりの私に対してもよい患者であろうと努力し、「よい関係性」を築こうとしてくれたのです。そうなると、私も自然と「よい医師」らしく振る舞うようになっていきます。「お互いさま」の文化が根付く環境の中で、地域の方々に育ててもらったことを、とてもありがたく感じています。

1人だけの医師 擦り減らさないための配慮

2003年、私は特発性頭蓋内圧低下症による慢性硬膜下血腫を患い手術を受けることになりました。くも膜下出血の誤診から、10年後のことです。約2か月間仕事を休み、ようやく体調が戻ってきた2004年からは新医師臨床研修制度が始まり、地方の医師が不足するようになりました。1999年から2004年まで、私は村の保健福祉課長を兼務し、当診療所は医師2人体制で診療を行っていました。しかし、医師不足のあおりを受けて、2005年からは再び私1人で診療することとなったのです。

2003年からの3年間はとても大変な時期でした。しかし、地域の方々が自主的に夜間や休日のいわゆるコンビニ受診を控えてくださり、2002年度には年間1098件あった時間外・休日診療も、2003年度以降には年間120件前後に激減しました。医師である私を地域の共有財産の1つとみなして、私が擦り減らないように配慮してくださったおかげで、大変な時期を乗り切ることができました。

コロナ禍でも変わらないお互いさま・助け合いの精神

新型コロナウイルス感染症にかかると、この地域の方々は隠すことなく周囲の方たちに伝えています。平日の昼間、自宅に車が止まっていれば具合が悪く休んでいることが周囲の方たちにも分かりますから、そもそも隠すことが難しいのです。すると、近くに住んでいる方たちは、その家に電話をかけて困っていることがないか聞き、玄関先に食事や必要な日用品を届けに行くのです。公的な支援を待つのではなく、お互いに支え合い助け合ってコロナ禍も乗り切っていました。

患者さんとの関わりで見つけた「健康」の定義とは

WHO憲章では、「健康」の定義に「肉体的・精神的・社会的に全て良好な状態であること」が含まれています。しかし、決して肉体的に良好といえる状態でなくても自分らしく過ごす患者さんとの出会いを通じ「健康とは何だろう」とあらためてその定義について考え、模索するようになりました。

肺線維症を患っていた94歳のBさんは、とても几帳面な性格の方でした。亡くなる直前、自らの葬儀費用を細かく計算したノートをご家族に託してから亡くなられました。

また、前向きな性格の85歳のCさんは、末期の肺がんで在宅酸素療法を受けながらも「寝たきりになったら困る」と、亡くなる前日まで歩行訓練をしていました。息を切らしながらもポジティブに足踏みをしているCさんを見て、「Cさんは末期だけれど健康ではないだろうか」とふと思ったのです。同時に「自分の感覚はおかしいのだろうか」という思いもよぎり、それから「健康」の定義について調べてみることにしました。

すると、順天堂大学 名誉教授の島内憲夫先生の「たとえ病気や障害があっても、いきいきと生きている、生きようとしている状態」を健康とする定義に行き着きました。この定義に基づくと、几帳面な方は最期まで几帳面に、前向きな方は最期まで前向きに自分らしく生きようとしていたわけですから、どちらの患者さんも最期まで「健康」だったといえるのではないでしょうか。

最期まで自分らしく過ごすために

最期まで自分らしく「いきいきと生きて逝く」ためにも、エンディングノートを書いておくことを皆さんにおすすめしています。これまでの人生を振り返り、人生の最期をどのように過ごし、どのように迎えたいかをあらかじめ記しておくとよいでしょう。

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私自身は、「ドロクター」として最期まで、自分の強みであるユーモアを忘れないでいたいと考えています。「どろくた」というのは、名田庄地区の方言で「やんちゃ」という意味です。自宅か病院かという形にはこだわりません。ユーモアを忘れずに最期を迎えることこそが自分らしいのではないかと考えています。

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