福井県のおおい町国民健康保険名田庄診療所 所長、中村伸一先生は、1991年に赴任して以来、総合医として名田庄地区の方々に寄り添い、地域の方々を支えてきました。総合内科のように大人の内科の病気を診療の対象とするのではなく、子どもから大人まであらゆる年齢の患者さんを対象とし、複数の科にわたる病気や外傷までをも診るのが総合診療です。中村先生に、患者さんのもっとも近くに寄り添い、地域の健康を支える総合医の魅力についてお話を聞きました。
※本記事は、日本慢性期医療協会との連載企画「慢性期ドットコム」によるものです。
高齢の患者さんの中には、1人で多くの持病をお持ちの方も珍しくありません。たとえばAさんは、9つの病気を治療するために4つの医療機関、7つの診療科を受診していました。
全部で16種類も処方されていた薬は間引きして服用しており、自宅には薬局の在庫よりも多い数の薬を余らせていたのです。複数の診療科を受診し、それぞれで処方される多くの薬を管理できると思っている患者さんもいらっしゃいますが、実際にはなかなか難しいものです。
複数の病院への通院が難しくなり、私がAさんのかかりつけ医になってからは、生活や薬の管理などの観点からも診療し、最終的に処方薬を7種類に整理しました。病気の治療だけでなく、服用する薬剤数が多いことによる服薬過誤や、処方されたとおりに服薬できなくなるなどの問題を予防・改善することも総合医の重要な役割の1つです。
私はこれまで、総合診療の新たな制度設計に携わってきました。総合診療専門研修プログラム整備基準には、日本専門医機構が認定する総合診療専門医が獲得すべき資質・能力など、総合医にとって「必要なこと」がまとめられています。
「必要なこと」を備え医療を提供することに加えて、その患者さんが大切にしていることに寄り添い、行動に移すことができる医師が私の考える「よい総合医」です。総合医としてのこれまでの経験から、以下の5つがへき地や離島などの地域での総合診療に求められる能力であり、よい総合医に「大切なこと」だと考えています。
ある時、膵臓がんを患うBさんに、お腹と背中の痛みを緩和するため医療用麻薬の使用をすすめたのですが、拒否されてしまいました。医療用麻薬はがんの標準治療として認められていること、依存性があるわけではないことなどをきちんと説明したものの、受け入れてくれないのです。ほかの鎮痛薬は使用してくれるので何か理由があるのではないかと思い「どうしてそんなに(医療用)麻薬が嫌なのですか?」とBさんに尋ねました。すると、戦時中、シベリアに抑留されていたときの経験を話してくださったのです。
「朝、起きたら右に寝ている仲間が死んどった。次の朝、起きたら、今度は左に寝ている仲間が死んどった。それは過酷な日々だった。その後、わしは日本に戻って来て、戦後の復興もこの目で見ることができた。がんで死ねるなんて幸せやと思わんか。この程度の痛みに耐えられんと、シベリアで死んでいった仲間に申し訳ない。だから、(医療用)麻薬はいらん」
Bさんにとってはシベリアに抑留された体験が何よりつらいことだったのでしょう。魂の奥底にくさびのように刺さった痛みを、がんという体の痛みに耐えることによって少しずつ解放していったのではないか、と私は解釈しました。
こういった独自の事情や価値観は、医師としての理論を振りかざすことなく患者さんに寄り添って話を聞いてみなければ分かりません。Bさんは、「病識のない患者さん」でも「聞き分けのない患者さん」でもなく「素晴らしい人生観を持った患者さん」だったのです。
結局、Bさんは最期まで医療用麻薬を使わず痛みに耐えながら亡くなっていきました。その生きざまに、ただただ尊敬の念を抱くしかありません。
福井県立病院で外科の後期研修を終えた後、再び名田庄地区に戻る道を選んだ私に対し、先輩医師は「田舎にこのまま埋もれるつもりか。ちゃんとした医者になれないぞ」と、将来を案じました。
これが、当時の地域医療に対するイメージだったのではないでしょうか。先輩方が言う「ちゃんとした医者」とは、細分化された専門分野を究めた医師のことです。「究めた医」とでも言えばよいでしょうか。一方、私が目指すのは、その対極にある地域の方たちに寄り添う「寄りそ医」でした。しかし、そのように将来を案じられると、本当にこの道を目指してよいのかと悩むこともありました。
そのようななか私は、介護保険制度が始まるより前の1991年、家で最期を迎えたいという地域の方たちの思いに応えるために「健康と福祉を考える会」を結成しました。その一環としてデイサービスを始めたところ、その噂を聞きつけた住民の方たちがデイサービスをお手伝いするボランティアグループを結成してくれたのです。
その10数年後、ボランティアの立場で介護の仕組みづくりに携わってくれた方たちは、介護サービスを受ける側になっていました。ボランティアという利他的な行為が、巡り巡って利益として自分に戻ってきたのです。まさに「情けは人のためならず」を実践して教えてくれたのがボランティアグループの方々でした。
画像提供:PIXTA
私自身、地域を支えるつもりが、名田庄地区に根付くお互いさまの精神にいつの間にか支えられていました。地域医療の場は、医師としても人としても学ぶことの多い成長の場であり、埋もれる場ではありませんでした。何かの専門分野を究めたいという思いはいつしか地域に向けられ、「私の専門は名田庄という地域だ」と考えるようになりました。「寄りそ医」として奮闘するなかで、いつの間にか地域の方たちに支えられ「支えあ医」として成長することができたのです。
総合医とは、患者さんにもっとも寄り添うことができる存在だと思っています。患者のCさんは亡くなる直前、「家で最期を迎えられて、ええ人生やった。お前も中村先生にここで看取ってもらえよ」と、奥さんに伝えました。とても頑固な方でしたが、私にとって最高のほめ言葉を遺してくださいました。患者さんにとって一番近い存在の医師を目指す方にはもってこいの領域だと考えています。
▼慢性期医療のさまざまな最新トピックスは「慢性期ドットコム」をご覧ください。※以下のバナーをクリックすると、サイトのトップページに移行します。
取材依頼は、お問い合わせフォームからお願いします。