1966年に公開された「ミクロの決死圏」は、物質をミクロ化する技術を用いて、けが人の体内に医療チームを乗せた潜航艇を送り込み手術をする――というお話です。SF映画で描かれた“未来の技術”が、近い将来、現実になるかもしれません。川崎市にあるナノ医療イノベーションセンターは、ナノサイズ(ナノは長さの単位で、1nm(ナノメートル)は10億分の1m)の分子マシン(ナノマシン)を使って人の体内で検査・診断・治療までの一連の流れが完結する「体内病院」の実現を目指しています。施設設立の経緯や現在の取り組みについて、同センターイノベーション推進チームコミュニケーションマネージャーの島﨑眞さんと企画・コミュニケーション担当の山本美里さんに伺いました。
※この記事は、日本慢性期医療協会との連載企画「慢性期ドットコム」によるものです。
島﨑さん:
当センターが最終的に目指すのは、誰もが病気を気にせず生活できる「スマートライフ社会」の実現です。そのために、2045年度に「体内病院」を実現させることを目指した研究を日々行っています。
体内病院とは、体の中で病気の検出から診断、治療までを完了させる仕組みのことです。
今は、健康診断で異常が見つかったら、病院に行って精密検査を受けますよね。そして精密検査で悪いものが見つかったら、手術や薬で治療します。これに対して体内病院は、目に見えないほど小さいナノマシンが体の中を巡回していて、たとえばがん化した細胞を検出したら、悪性度をその場で診断します。診断の結果、すぐに治療が必要と判断されたら治療を施します。つまり、自分自身の体の中にあるナノマシンのみで、診断から治療までの一連の流れを、病院に行かず、本人も気づかぬうちに完結させるイメージなのです。
がん以外にも、薬が届きにくい脳や筋肉、関節の病気にもナノマシンによる治療が応用できる可能性があります。脳と筋肉には関門と呼ばれる血液から組織への薬の移行を制限する仕組みがあり、大量の薬を投与しなければ到達しません。しかし、大量に薬を投与すると正常な細胞にも悪影響を及ぼしてしまいます。ナノマシンを使って病巣だけに薬を届けられるようになれば、認知症や筋肉の難病、変形性関節症などの治療は大きく向上するでしょう。
これに対して、診断と検出についてはまだ大きな課題があります。現在の検査機器の多くは、病院に設置されていることが前提です。たとえば、血液検査をするときは注射器を使う必要があるため、検査ができる場所は医療従事者がいる病院や訪問診療に限られます。しかし、高齢者や抗がん剤を使っている方は血管がもろく、注射器の針が入りにくいことがあります。針を使わない血液検査ができるようになれば、そういった方の検査がしやすくなるだけでなく、自宅で家族による血液検査が可能になります。まずは今病院で行っている検査・診断が自宅でもできるようになる程度まで機器を小さくすることが目標です。
山本さん:
当センター所在地には、もともと自動車工場がありました。工場撤退後、川崎市から「跡地をライフサイエンスの拠点として整備できないか」という提案が挙がったのです。当時、国の研究開発プロジェクトとして東京大学でナノDDS*の開発を行っていた現センター長の片岡一則はこの提案を受け、川崎の地をライフサイエンスの中核拠点として各地に波及させることを目指し、当センターはここ川崎区殿町「キングスカイフロント」で2015年より運営をスタートしました。
*ナノDDS:ナノテクノロジーとDDS(医薬品を体の中の適切な場所に適切な量で届け、適切な時間だけ留まらせるための技術。ドラッグデリバリーシステム)を融合したもの。
昨年度で終了したプロジェクトCOINSは2013年に文部科学省の「革新的イノベーション創出プログラム(COI STREAM)」に採択されました。施設には大学研究者や企業、川崎市産業振興財団の職員など多方面から様々な専門性を持つ人々が集って共同研究をしており、産学官連携でプロジェクトを進めています。主な研究室には、がんの早期迅速診断デバイスの開発を行っている一木ラボ、変形性関節症の治療に使えるメッセンジャーRNA*の開発を行っている位高ラボ、抗がん剤搭載型のナノマシン開発に取り組んでいる片岡・喜納ラボ、ナノ医療の社会実装に向けた制度改革の整備を担当する木村ラボ、ケミカルサージェリーに関する研究を行っている西山ラボ、位高ラボから派生し、メッセンジャーRNAワクチンに関する研究を行う内田ラボ、そして企業と連携した研究室である社会連携ラボがあります。
また当センターでは、研究に参画している方々が互いに刺激し合えるような環境づくりを心がけています。研究室は所属先にかかわらず共同使用で、立場や国籍、専門分野の垣根を越えてざっくばらんにコミュニケーションが取られています。日々活発に討論が行われるだけでなく、セミナーやマグネットエリア(センター内の人々の交流スペース)での食事会などもコロナ禍以前は開催されていました。所内やキングスカイフロントエリア全体での交流から、新たなアイデアが生まれることもあるのです。
*メッセンジャーRNA:体の中でタンパク質を作るための設計図となる遺伝情報
島﨑さん:
病気が気にならない社会を実現させるためには、未来を担う子どもたちにも医療や科学に興味を持ってもらうことが大切だと考えています。また、医師や看護師だけでなく家族が自宅で患者さんをケアできるようになることや、健康な状態を維持するためのケアも大切です。取り組みの例として、高校生を主な対象としたワークショップを2021年から始めました。そもそも高校生は、まだ超高齢社会を自分に関係する問題として捉えられていない方が多いので、まずは超高齢社会で何が問題になるのかを率直に話しました。すると皆さん、未来に希望が感じられなくなって一度は落ち込んでしまったのですが、その後に研究者と意見交換をし、未来は自分で切り開けることを理解してからは活発に意見を出してくれました。ワークショップの中では、「鏡に映った自分の姿から、体の状態を判断して体調を教えてくれる装置」などといったアイデアが出ていました。こうしたユニークな発想が、次の研究のアイデアにつながることもあるのです。
理系志望の子どもが減っていく中で、まずは子どもたちに科学への関心をもってもらうことが、早期教育につながるのではないかと考えています。ワークショップについても、いずれは全国展開していきたいですね。
山本さん:
本年、私たちは体内病院のプロジェクトに加えて、“看民工学”を提唱しました*。看民工学とは「全ての人々(民)をケアする(看る)ための工学」であり、看護手技に工学的手段を組み合わせることで、人々が安心して生活できる社会を実現する取り組みを指す新しい言葉です。
島﨑さん:
看民工学の言葉には、病気になった方をケアする“看病”だけでなく、国民全体をケアする意味が込められています。患者さんに加えて病気になる前や病気が治った後の方々もケアすることで、“病気が気にならない社会”の実現につながると私たちは考えています。
看民工学では、看護師だけでなく患者さんの家族も使えるような技術の創出を目指します。病院では24時間看護師が患者さんをケアできる体制が整っていますが、在宅医療では看護師がつきっきりになることはできません。そこで今後は、患者さんを自宅でケアする家族が使えるような検査機器や、その場にいるだけで健康状態が分かるような技術を生み出し、看護・ケア領域も工学の立場から支えていきたいと考えています。
*2022年10月25日、ナノ医療イノベーションセンターが看民工学を提唱した「レジリエント健康長寿社会の実現を先導するグローバルエコシステム形成拠点」は “共創の場形成支援プログラム(COI-NEXT)共創分野・本格型”のプロジェクトに採択されました。在宅医療における看護の課題に焦点を当て、本人や家族が自宅で手軽に扱える医療技術の研究・開発を通じて、看護者の負担軽減と健康寿命の延伸を目指しています。
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