今、世界では医療DX(デジタルトランスフォーメーション*)や医療情報の利活用が積極的に進められています。日本では2017年より厚生労働省がデータヘルス改革を推進し、2020年の新型コロナウイルスの感染拡大によってオンライン診療の規制緩和が話題となりましたが、それでも日本の医療DXは世界に比して遅れているようです。その現状と今後の展望について、松山幸弘先生(キヤノングローバル戦略研究所研究主幹、豪州マッコーリー大学オーストラリア医療イノベーション研究所名誉教授)にお話を伺いました。
*デジタルトランスフォーメーション:人々の生活のあらゆる面でデジタル技術が引き起こしたり影響したりする変化のこと
※この記事は、日本慢性期医療協会との連載企画「慢性期ドットコム(https://manseiki.com/)」によるものです。
OECD(経済開発協力機構)は2015年に公表したレポートの中で、医療情報のガバナンスと活用において日本がOECD加盟国中最下位であるとランク付けしました。
また、デジタルヘルスの推進を目的にWHO(世界保健機関)と約30の国々によって設立されたGDHP(The Global Digital Health Partnership)が2020年7月に発表したレポートによれば、「個人の診療録(カルテ)に電子的アクセスがどの程度できるか?」という評価項目において、日本は4段階中下から2番目に分類されています。評価対象となった22カ国は、以下の4段階に分類されています。
分類1はオーストラリア、オーストリア、エストニア、ポルトガル、スウェーデン、英国、米国の7カ国であり、分類2はカナダ、香港、イタリア、オランダ、シンガポールの5カ国です。日本はアルゼンチン、ブラジル、インド、インドネシア、ポーランド、韓国、スイス、ウルグアイと共に3に分類されており、4はサウジアラビアのみとなりました。日本は自治体が保管する予防接種と乳幼児健康診査の記録、保険者が保管する特定健診の結果があることから、分類4に転落するのを免れたようです。
各分類の差を時間で表現すると約10年となりますので、日本はデジタルヘルスの分野で英国や米国に20年も遅れているということになります。
新型コロナウイルス感染症をきっかけに、諸外国で医療DXを推進するデジタルヘルスの本格的な社会実装が始まりました。日本でもオンライン診療に関する規制緩和の恒久化が議論になっています。しかし、目先10年ほどは日本で諸外国と同レベルのデジタルヘルスが普及することはないでしょう。課題は3つあると考えます。
第1に、政府がデジタルヘルス関連のさまざまな施策を掲げていますが、政策立案にあたりTechnology(技術)とTransformation(変革)の区別がついていないこと。Technologyが生み出すのは新しい単品のツールであり、Transformationとは新しいツールを社会実装すること、または社会実装を加速させるインフラ・社会的仕組みを構築することです。欧米諸国のデジタルヘルス計画では、両者を明確に区別しています。ところが日本政府はこの区別をできず、Technologyを社会実装する段階に至っていない。このことは、マイナンバーカードの交付率が24%ほど(2021年データ)にとどまり社会実装が一向に進まない現状から自ずと理解できると思います。
第2に、広域医療圏単位で診療情報を共有するためのプラットフォーム機能を担う組織が日本には1つも存在しないこと。たとえば、日本では大学附属病院や地域中核病院であっても、診療情報共有プラットフォーム機能を果たしているところは1つもありません。つまり、デジタルヘルス遂行にあたっては「組織化」が課題ということです。
海外の例を見てみましょう。人々の対面診療選好が強かったこともあり、デジタルヘルスのインフラがほぼ整っていたところでも2019年まではオンライン診療はあまり人気がありませんでした。しかし、それがコロナ禍で一変し、オンライン診療の利用件数が急増しています。大切なポイントは、海外ではオンライン診療を対面診療の代替と考えるのではなく、オンライン診療と対面診療を「医療にアクセスする手段」として平等に位置づけ、診療内容ごとに患者さんと医療機関両方の視点でどちらが適切なのかを検証し始めたこと。特に、慢性疾患患者におけるオンライン診療の有効性がコロナ禍で確認されたようです。
写真:PIXTA
第3に、日本の医療制度は保険者と医療機関が対立する構造になっていること。デジタルヘルスという技術革新の社会実装が進んだとき、その経済的メリットの大部分を最初に享受するのは保険者です。したがって、デジタルヘルスの初期投資コストは全て保険者が負担すべきものですが、日本ではそのような発想は出てきません。
現在世界でもっともデジタルヘルスを実践し、DXを推進しているのは米国カリフォルニア州に本部を置くKaiser Permanente(以下、カイザー)です。カイザーは1200万人超の保険加入者に医療を提供する世界最大のIntegrated Healthcare Network(IHN:統合ヘルスケアネットワーク)で、8.5兆円の収入(2018年)を誇ります。2020年10月、カイザーが「心臓発作の治療後の患者に心臓の動きをモニターできるスマートウォッチを無料で提供し、予後管理する」と発表しました。カイザーは保険部門と医療提供部門を連結経営する事業体であり、常に患者さんと医療従事者双方の視点を持って財源と医療の質を全体最適化するための方法を模索・実践しています。
医療のAI活用について、他国の動きを見てみましょう。
米国バージニア州に本部を置くIHNのセンタラ(2020年収入見込み1.2兆円)は、2020年にAIによる疾病予測を社会実装し注目されています。センタラによれば、地域に住む人のおよそ10%が年間医療費の70%ほどを使っており、医療費が高い患者さんの約半分は前年も医療費が高く、残りの半分は今年急に医療費が高額になった患者さんだといいます。このことから、1年以内に医療費が急増する患者をAIで予測して重篤化を防ぐことで、保険加入者全体の健康向上と医療費節約を同時達成できる、というのです。
写真:PIXTA
これは、すなわち「患者が来るのを待つ医療」から「患者を指名する医療」に変革することを意味します。その結果、特に慢性病患者の疾病管理が進化すると予想されているのです。このシステムの重要なポイントは、実際に医療費節約が達成された際、保険集団ごとに推計した節約額を、協力した独立開業医と保険料負担者にボーナスとして支払うことです。こういった仕組みが成立するのも、センタラがカイザーと同様、保険部門と医療提供部門が連結した非営利のセーフティネット事業体だからです。
そのほか、英国とオーストラリアもAIによる疾病予測を国家戦略のテーマにあげています。
日本はというと、厚生労働省が「保健医療分野AI開発加速コンソーシアム」を設置のうえ議論し、2019年に重点6領域を決定しました。その内容は、(1)ゲノム医療(2)画像診断支援(3)診断・治療支援(問診や一般的検査など)(4)医薬品開発(5)介護・認知症(6)手術支援――の6つです。しかしここには、国全体で医療の質向上と医療費節約を達成することにつながるテーマ、すなわち「AIによる疾病予測」が含まれていません。
また、現状はレセプト(診療報酬明細書)の全国データベースを構築したものの重篤化との因果関係のビッグデータがありません。よって、このままでは医療制度変革のインフラとなるようなAI疾病予測ツールを開発することはできないと考えられます。
日本にも、積極的にAI活用に取り組んでいる医療機関はあります。しかしながら単独の病院では世界基準になり得ませんから、日本全体での改革を考えるならば、国公立病院や大学附属病院が地域単位で経営統合しプラットフォームの役割を果たす仕組みを構築することが必要となるでしょう。
*松山幸弘先生による「コロナ禍と医療イノベーションの国際比較」についてはこちらをご覧ください。
▼慢性期医療のさまざまな最新トピックスは「慢性期ドットコム」をご覧ください。※以下のバナーをクリックすると、サイトのトップページに移行します。
取材依頼は、お問い合わせフォームからお願いします。