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再生医療による重症心不全の治療-心筋シートが生まれ保険適用となるまで

再生医療による重症心不全の治療-心筋シートが生まれ保険適用となるまで
澤 芳樹 先生

大阪大学大学院医学系研究科 保健学専攻 未来医療学寄附講座特任教授、大阪警察病院 院長、日本胸...

澤 芳樹 先生

心不全患者数は世界的に増加しており、そのなかには補助人工心臓の装着や心臓移植を待つほかないとされる方も多数みえます。大阪大学大学院医学系研究科・心臓血管外科教授の澤芳樹先生は、このような重症心不全の患者さんを救うべく、再生医療を用いた治療の開発に尽力されてきました。世界初の心不全治療用再生医療等製品である「ヒト(自己)骨格筋由来 細胞シート」は、2016年1月に公的保険適用となり、同年5月には待望の保険診療がスタートしました。心筋シートによる心不全治療のメカニズムと、実用化までの道のりを澤先生にわかりやすく解説していただきました。

細胞は生命体を構成する最も小さな単位です。私たち人間の体は約60兆個もの細胞により成り立っており、そのうち数億個の細胞が心臓を構成しています。

心臓を形成する心筋(筋肉組織)とは心筋細胞の集合体であり、この心筋がポンプのように収縮することで、酸素や栄養を含んだ血液が全身へと供給されます。

心不全とは、心筋梗塞などにより心筋細胞が壊死してしまい、心臓のポンプ機能が低下した状態をいいます。

心不全の治療は、その重症度により異なります。一般的には病気の進行を遅らせる薬物治療やペースメーカーの植え込み、手術治療などの治療が行われますが、大部分の心筋細胞が壊死してしまうと、これらの治療で効果を得ることができません。そのため、重症心不全の患者さんの場合、補助人工心臓の装着や心臓移植を行わねば助からないこともあります。

しかしながら、補助人工心臓治療や心臓移植には、手術に伴うリスクや数の面での限界があります。

補助人工心臓治療の合併症のなかでも特に注意が必要なものは、感染症と脳合併症です。また、補助人工心臓とは機械ですから、装着後にトラブルが起こる可能性も懸念されます。

もうひとつの選択肢である心臓移植には、ドナー不足という大きな問題があります。

日本では脳死判定を受けた方の臓器を用いる移植医療は進んでおらず、2010年の臓器移植法改正までは、ご家族の承諾による臓器提供も認められていませんでした。そのため、日本におけるドナー不足問題は、諸外国と比べ著しく深刻なものとなっています。

アメリカでは心臓移植を必要とする患者さんのうち3分の1の方は実際に移植を受けることができていますが、日本では1000~2000名の患者さんに対するドナーの数はわずか50名ほどに留まっています。

脳死臓器移植とは、脳死判定を受けた方が生じてからはじめて実施できる治療であり、倫理的な問題や個々人の宗教観など、様々な難しさを内包しています。そのため、啓発や法改正を行ったとしても、ドナーを増やすことには限界があると感じます。

心臓移植のデメリットは、ドナー不足だけではありません。移植を受けた患者さんは、拒絶反応を防ぎ心臓を維持するために、生涯にわたり免疫抑制剤を飲み続けなければなりません。この免疫抑制剤にも副作用や感染症にかかりやすくなるといった難点があります。

私自身は、移植医療とは過渡期の医療なのではないかと考えています。

現在は患者さんの心臓を移植手術によりドナーの方の心臓へと置き換えていますが、真に目指すべきは患者さんご本人の心臓を活かす医療だと考えるからです。

私が再生医療による重症心不全の治療開発に挑んだ理由は、心臓移植を専門とし、年に何件もの心臓移植を行うなかで、患者さんご自身の心臓を治したいという強い想いが生じたからにほかなりません。

再生医療」という言葉を聞き、トカゲの尻尾のように、一度喪失したものが新たに生じるというイメージを持たれる方もいるかもしれません。しかし、人間の手足や心臓が新たに再生するといったことは起こり得ません。再生医療という言葉に初めて触れる方は、「機能を回復させる医療」と捉えていただけるとわかりやすいのではないかと考えます。

低下した心臓のポンプ機能を回復させるために、私が心臓の再生医療に取り組み始めたのは、今から20年以上前の1995~6年頃のことです。この頃には再生医療という言葉は存在しておらず、私たちは「細胞治療」という言葉を用いていました。

当時は培養した細胞から治療に使用する細胞を採取する際に、タンパク分解酵素を用いた処理を行っていました。細胞はタンパク質でできているため、酵素処理により痛めつけるような処理を加えることで剥離することができるのです。しかし、この過程で多くの細胞は傷ついて丸まり、機能を失ってしまいます。さらに、集めた細胞を遠心機にかけて分離し、移植するために注射器に入れるという過程を経るため、ほとんどの細胞は移植後生着するに至りませんでした。

生着率1割未満という壁に直面していた私が研究を前進させられたきっかけは、2000年頃に東京女子医科大学の岡野光夫教授が作製された「細胞シート」との出会いです。

私は、細胞とは最も小さな生命体であると捉えています。採取した細胞は培養皿のなかで自らの棲家となる細胞外マトリックスを作り、まるで微生物のようにその棲家で生き続けるからです。従来の酵素処理を加える細胞採取とは、この棲家を壊してしまうものでした。

一方、岡野先生が開発された細胞シートとは、温度感受性培養皿で培養した細胞を細胞外マトリックスごと回収するという特殊な技術を用いたものだったのです。温度を変化させるだけで細胞を回収できるため、酵素処理を加える必要はなく、非常に状態のよい細胞をそのまま移植することができます。

岡野先生の発表を聞いた私は、直感的に心不全治療に応用できると確信し、共同研究を申し込みました。心筋を修復させる何らかの細胞をシート状に培養し、心臓の表面に貼ることができれば、心機能を回復させることができるのではないかと考えたのです。

当時、健康な心筋細胞そのものをシートにして移植することは不可能でした。というのも、先述の通り、心不全とは心筋細胞の壊死によって心機能が低下した状態だからです。重症心不全の患者さんの心筋細胞を採取して移植に使用することはできず、また、当時はあらゆる細胞に分化誘導させられるES細胞やiPS細胞も樹立されていませんでした。

そこで私たちは、脚の筋肉にある筋芽細胞をシート状に培養し、心臓に貼るという手法を考えました。

筋芽細胞とは、増殖して筋肉となる細胞です。脚に肉離れなどの損傷が起こると、筋芽細胞はサイトカインというタンパク質を分泌し、筋肉の修復を促します。肉離れが2週間ほどで治癒するのはこの働きによります。

私たちは、筋芽細胞を心臓表面に移植することで心筋も脚の筋肉のように元気になるのではないかと考えました。このような発想から、「骨格筋由来筋芽細胞シート(以下、筋芽細胞シート)」が誕生したのです。

重症心不全に対する筋芽細胞の移植は、筋芽細胞シートの誕生以前から考えられてきました。しかし、かつての移植法とは、先述のように酵素処理を行い、細胞を注射器で心臓に直接注入するというものでした。この移植法の問題点は、低い生着率のみではありません。注射器を用いることにより、心臓の内部に瘢痕組織が形成されてしまい、不整脈の発生につながるといったリスクもあります。

一方、筋芽細胞シートによる治療は心臓の表面に細胞を生着させるものですから、瘢痕組織が形成されるリスクはありません。

筋芽細胞シート治療の安全性と有効性は動物実験でも十分に確認され、2007年には一定の条件を満たした参加者を対象とした臨床試験が始まりました。

第一例目の患者さんは、拡張型心筋症により補助人工心臓を装着していた50代の男性でした。2007年当時、心臓移植を待つほかないとされていた患者さんの心機能は、筋芽細胞シートの移植により術後3か月頃から回復していきました。この患者さんは、2017年現在もご自身の心臓を維持しながら元気に生活されています。

その後も臨床試験を続け、治療した40例の患者さんのうち7~8割の方に心筋機能の回復が認められました。

2012年には筋芽細胞シートの実用化に向け、医療機器メーカーの株式会社テルモ(東京都)と共に治験を開始しました。

2015年に再生医療製品として承認を得られた「ヒト(自己)骨格筋由来 細胞シート」は2016年からは保険適用で心不全患者さんの治療に使用できるようになりました。心臓表面に貼り付けることで心筋を修復する効能を持つことから、一般的に心筋シートとも呼ばれています。

2016年8月には初めて保険診療下での移植が行われ、現在では日本を超えて世界中から患者さんが来院されています。

澤先生

とはいえ、筋芽細胞シートの実用化に至るまでの経緯は、決して順風満帆なものではありませんでした。

たとえば、治験を行う前には、再生医療製品も従来の医薬品に対する規制に従いランダム化比較試験(RCT)を行うべきではないかという声があがりました。

RCTとは、臨床試験に参加される患者さんを無作為に処置群(治療する群)とプラセボ群(効果のない偽薬を用いる群)にわけることで、治療効果を客観的に評価する試験です。

しかし、再生医療とは他に選択肢がなくなってしまった重症の患者さんに対して行う医療という大前提があります。早期に治療を行わなければ死に至る危険性もある疾患を抱える患者さんに対し、効果のないプラセボを用いる試験を行うことは、当然ながらできるものではありません。このときに生じた憤りを力に変え、私の所属する日本再生医療学会は薬事法の改正に向けた提言を行いました。

現行の改正薬事法(通称・薬機法)において、細胞加工製品などの再生医療製品の開発・承認審査に際しては、必ずしもRCTを求めないとされている背景には、このような議論があったのです。

次の記事2『筋芽細胞シートによる心不全治療の方法と手術を受けるタイミング、iPS細胞の活用』では、筋芽細胞シートを使った治療の手順やリスク、心不全の患者さんが再生医療を用いた治療を受ける理想的なタイミングについてお話しします。

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