先進諸国に比べてIT化で出遅れた日本の現状は「デジタル敗戦」と表現されています。医療のデジタル化を進め、情報を利活用することは未知の感染症などが発生した際に対処法や治療法などを探るための強力なツールにもなりえます。しかし、新型コロナウイルス感染症への対応でも、日本のデジタル化の遅れは現場の“足かせ”になったといいます。医療情報利活用が遅れている日本で何が起きていたのか、そして“次”への教訓は――。最初期から治療にあたっている国立国際医療研究センター病院国際感染症センターセンター長、大曲貴夫先生にお聞きしました。
私の一義的な仕事は、臨床医として患者さんに対応することです。国立国際医療研究センターという感染症指定医療機関で仕事をしているので、新型コロナのような新興・再興感染症の患者さんが出たときに日本で最初に接する立場でもあります。実際、この病気のことが何も分からず臨床的な情報が何もなかった2020年1月に、日本で3例目の患者さんを診ていました。
また、当センターは研究開発機関でもあります。多くの人にこの病気のことを知ってもらい、科学的知見を蓄積して治療法や予防法、ワクチンなどの対処法を生み出すことが求められますが、有事に研究開発をするのは困難の連続でした。
大変なことはいろいろとありましたが、その1つが情報を集めることの困難さです。われわれは新型コロナの流行が始まった早い段階から、患者さんの臨床情報を網羅的に集積して公開する計画を作っていました。
2012年に初めて確認されたウイルス性感染症の中東呼吸器症候群(MERS)に関して情報収集をし、その知見が大いに役立ちました。当時、MERSの特別研究の長を務めていたので、もし次に新たな感染症が出現したら、日本も遅れずに情報収集・発信をしようとリポートをまとめました。そして今回、それを実行に移す時が来たのです。実際はどうだったかというと、このような有事に何の事前準備もせずに情報を引き出して使うのは非常に困難でした。
日本では、患者さんの生の情報は現場から人力で引き出すしかないからです。そうした情報は電子カルテや診療録に格納されます。しかし、目的意識がないので情報の入れ方もバラバラ、電子カルテのベンダーもバラバラでデータに互換性がありません。そこから利用可能なデータフォーマットに情報を落とし込むのは大変困難です。結局、統一フォーマットに手作業で入力をしてもらうということになりました。
これまでに5万3000例以上(2021年10月18日現在)の症例を集積しています。この有事に現場の医療者が時間を割いて入力をしてくれているのは大変ありがたいことだと、心から感謝しています。半面、次も同じことを繰り返すことがあってはなりません。この不合理は変えるべきです。
実は、日本には有用な医療情報がたくさん眠っています。たとえば新型コロナ関係だとHER-SYS(新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理システム)があります。このシステムのいいところは、全ての患者さんのデータが格納されていることです。ただ、データは行政の枠組みで集めたものなので、使える立場にいる研究者は極めて限られます。第三者では使えません。せっかくいいデータがあるのに利活用がされにくいのです。患者さんの個人情報が含まれるので、「簡単に利活用などと言うな」という議論はそのとおりです。一方で、こうした情報に付随するバリアを取り払って生かせるような仕組みを作った国は現実に存在し、そこから得られたデータや知見をどんどん活用しています。個人情報はもちろん保護されなければなりません。しかし、そこで思考停止していいのでしょうか。日本はその面で諸外国から完全に出遅れています。
私は10年ほど前からイギリスのデータの使い方に関心をもっています。たとえば、デキサメタゾンという薬が新型コロナの回復に効果があるかというイギリスのランダム化比較試験がありました。結果的に万単位の情報が集まり、有意に死亡率を低下させるという結果が得られました。
そこで活用されたのが「データリンケージ」。できるだけ多くの医療機関に入ってもらい、数を集めてパワーを出そうという発想です。現場で入力する情報は最低限として、負担を最小限に抑えています。だからこそ多数のデータが集められたのです。
ここで大切なのは、イギリスでは10年前から問題意識をもって議論を積み重ね、法律も変えて体制を作り上げてきたということです。
日本はこれまでそうした努力をしてこなかったのですから、今回の新型コロナ対応で“力業”でしかデータを集められなかったのは当然のことです。それを強烈に感じました。
情報を利活用しようとするときに障壁となるのが、個人情報をどうやって守るのかということです。
個人的には、中央集権的に情報を集めながら保護をすることは両立しないのではないかと考えます。中央集権的に集めると、多くの人がその情報に接することができるようになるので、結果として“だだ漏れ”になってしまいます。行政は“無謬性(むびゅうせい=誤りがないこと)”を求めるので「自分たちのせいで情報が漏れた」とならないようにルールでがんじがらめにしてしまいます。つまり、行政が管理にかかわると立場的に規制をかけるなどして守らざるを得なくなり、結果として動かなくなるのです。
ではどうするか。データはローカルに置いて、プライバシーにかかわることは全体に共有されないようにする。そうした仕組みがないと、データをつなげていくのは無理なのではないかと思います。
現状のコロナ関連各種データベースの状況を見ていると、どれもつながっていないのは明らかです。それは単純に法律で許可されていないからというだけなのか、あるいはそれ以外の技術的、組織的な課題があるのかを見極め、克服しなければなりません。
医療の分野で利活用するためには、どのようなデータが必要でしょうか。
たとえば病院に行くと、患者さんはいろいろな情報を医師に提供しています。問診表に記入したこと、ドクターとのやり取り、診察で見つかった異常、採血など検査の結果……そうしたものが全て、情報として格納され、それを使ってわれわれは判断し、医療行為をしています。
そのように病院で集められた情報を使うことで、治療がうまくできるようになったり、医療関係の研究開発が効率化されたりします。「情報をとられる」ことに怖さがあるかもしれませんが、それは上手に使って生かすためであり、価値を分かる人に渡して使ってもらってこそ真価を発揮するのです。
過去20年を振り返ってもSARS(重症急性呼吸器症候群、2003年)、A(H1N1)新型インフルエンザ(2009年)、MERSといった新興・再興感染症が流行。新型コロナ以前にデータのリンクと利活用を考える機会が何度もあったにもかかわらず、それを生かせませんでした。現在のグローバル化を考えれば、今後も感染症のパンデミックは避けられないでしょう。
今回の反省に立って来るべき次の感染症に備え、データの利活用ができる体制を整えなければなりません。では誰が先頭に立つべきなのでしょうか。
行政主導、産業界が声を上げる……さまざまな意見があると思いますが、結局は「受益者」が自分の健康や安全のために必要と思わない限り物事は動きません。
データを持っているのもその恩恵を受けるのも、一般の方々です。皆さんの声こそが一番重要で、行政や産業、医療界を動かす原動力になるのです。
そのためにはまず、データを生かすことによってもっと幸せになれる、健康が保てる、安全に生きられる……といったことが伝わり、社会的な意識が芽生えることが大事なのだと思います。
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