日本の脳卒中患者は、およそ124万人(厚労省平成23年調べ)といわれます。その治療の最先端をゆく脳血管内カテーテル治療は、現在国内で約2万5千件行われています。外科手術では治療が困難だった特殊な病気をも治療可能にした脳血管内手術は、どのように始まったのでしょうか。医療器具や薬剤も進化し、その適応はまさに発展を続けています。脳血管内治療について、神戸市立医療センター中央市民病院の坂井信幸先生にうかがいます。
脳のカテーテル治療は、実は1970年代からすでに行われていました。主に脳血管の病気が対象ですが、内科治療・外科治療でも直しようがなかった複雑な病気を、なんとか治す方法がないかと考えられたのが始まりです。そして生まれたのが「血管の中から治療する」という発想です。最初にその対象となったのは脳動静脈奇形という病気でした。動脈と静脈が塊(かい)になっており、それがはじけると命を落とす危険性もある比較的珍しく治療が難渋する病気です。
この病気は、手術の際に出血することが問題でした。ですから、血管の中から出血を抑えて手術のリスクを少しでも軽減しようと血管内治療が試みられました。ただ当時は、頭の中に入るカテーテルもない時代で、血管がつまるようなもの(シリコンボール)を血流にのせて流すということを行っていた医師もいました。
また、頚動脈海綿静脈洞瘻という特殊な病気も対象でした。
多くはケガから発症しますが、頚動脈の頭に入る直前の部分に穴が開き、海綿静脈洞に流れ込んで目が腫れてしまう病気です。非常に治療が難しいため、その穴を中からふさぐためにカテーテル治療を利用しようと考えられました。しかし、いずれにしても「チャレンジ」の域を出ない状況で、実際に今行われているカテーテル治療とは似ても似つかないものでした。
1970年代なかばになり、バルーンカテーテル(風船のように膨らむカテーテル)が開発され、現在の脳のカテーテル治療の原型が始まりました。それとほぼ同時に、心筋梗塞の原因となる冠動脈狭窄や閉塞の治療として狭くなった心臓の血管をバルーンで広げるという治療が始まりました。
つまり脳のカテーテル治療と心臓のカテーテル治療はほぼ同時に始まったといえますが、その目的と機器は多く異なっており、心臓のバルーンは狭い血管を押し広げるためのもので、脳のバルーンは血流に乗せて遠くまで誘導するためのものです。心臓の病気を持つ患者さんは脳の病気を持つ患者さんより多く、今でもバルーンを使用したカテーテル治療、その延長のステント留置術が行われています。「狭い部分を広げる」という目的に最適だった心臓のカテーテル治療は、はじめからゴールに近い形でスタートし、さらに必要としている患者さんも多かったため、脳のカテーテルよりも急速に広がりました。
脳のバルーンはその構造上、流れの速い動脈に流れていきます。脳動静脈奇形という病気は出血との戦いになる外科治療が困難な病気でしたので、バルーンに小さな孔をあけて血管内で固まる物質を流す治療が試みられました。またバルーンを細いカテーテルに装着しておいて、バルーンの中で固まるシリコン液や時間が経ったら固まるプラスチックを流して膨らませ、固まったら切り離す離脱型バルーンという機器が開発されました。これにより頭の中の脳動脈瘤や脳動脈を閉塞しようとしました。
しかし治療効果と安全性はマッチせず、広く普及することはありませんでした。心臓と脳の血管内治療はほぼ同時に始まったにもかかわらず、脳血管の治療では「カテーテルで治療可能」といえるような技術がまだなく、この方法は実現以前の発想の域を出られませんでした。
1980年代なかばに入り、サンフランシスコ近傍のシリコンバレーのメーカーによって脳の中に実際に誘導できるマイクロカテーテル(トラッカーカテーテル)が開発されました。そのマイクロカテーテルの登場が、脳のカテーテル治療を一変させました。開発されたのが86年、日本に渡ったのは88年です。
マイクロカテーテルがやってくる前から、頭の中ではなく頭の外の血管(髄膜腫の塞栓術や特殊な種類の海綿静脈洞瘻)に、もっと太いカテーテルで血管が詰まるようなものを流すことを試みてはいたのですが、トラッカーカテーテルがやってきたことによって、いよいよ脳の血管に直接的にさまざまな治療ができるようになりました。これが、脳卒中に対するカテーテル治療の始まりです。
最初に試みたのは、カテーテルを使ってウロキナーゼやTPA(※)で詰まった血栓を溶かすという治療でした。カテーテルが直接治療したい部分まで届くのですぐに治療が試みられましたが、当時は今の臨床研究のスタイルをとっていなかったため説得力のある臨床データが蓄積されませんでした。95年に内科治療との比較研究で米国がTPAの静注療法を承認してから遅れること約10年、2005年にやっと日本でも承認されたのですが、その直前までに行っていたMELT-JAPANという研究でこのカテーテルを用いた血栓溶解療法の有効性が示されたという背景があります。
※ウロキナーゼ・TPA…血栓溶解剤。できた血栓を溶かす薬。新鮮な血栓を溶かして血流を再開させることで機能障害を残さずに回復することが期待できるため、脳梗塞などで使用されることが多い。
それと同時に、カテーテルの中を通すコイルも、従来のタイプからマイクロカテーテルを通して出し入れし、通電したり水圧をかけたり機械的に切り離す離脱型コイルが1990年に開発されました。これにより「血流を再開させる」という技術に加え、「血流を止める」という技術が一段と飛躍しました。頭の血管専用のバルーンやステントなどが開発され、徐々にカテーテル治療の対象範囲、治療範囲が広がりを見せ、それとともに安全性と治療成績も上がっていきました。
日本では2008年から、片麻痺を改善させて脳卒中リハビリテーションをスムーズに進めるために“rTMS治療”が用いられるようになっており、すでに良好な治療成績がもたらされています。
社会全体の高齢化が進み、脳卒中治療の需要は増加の一途を辿っています。現在、脳卒中の治療の第一選択は、頭部に切開を加えず、血管内にカテーテルを通して行う脳血管内治療に移行し始めています。
シミズ病院 病院長
シミズ病院 病院長
日本脳神経外科学会 脳神経外科専門医日本脳卒中学会 脳卒中専門医日本脳神経血管内治療学会 脳血管内治療指導医日本脈管学会 認定脈管専門医
脳卒中の急性期治療、脳動脈瘤治療のエキスパート。脳血管内治療が始まり当初から難治性の病気にも果敢にチャレンジし、ステント治療を日本で初めて導入するなど脳卒中治療の技術を飛躍的に発展させる。専門技術が分かれてしまいやすい日本において、血管内治療、外科開頭手術の両方を年間300例以上おこなう数少ないドクター。一般向けの脳卒中に関する講演やセカンドオピニオンをおこなうほか、カテーテル専門医の認定や技術指導など後進育成にも力を入れる。
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