浜松医科大学医学部附属病院 病院長 竹内 裕也先生
近年、幾人かの著名人が公表したことでも関心が高まっている食道がんだが、その実態についてはまだ十分に知られていない側面が多いという。
この病気は早期の段階では自覚症状がほとんどなく、異変を感じたときには進行しているケースも少なくない。一方で、飲酒や喫煙といったリスク要因がはっきりしており、体質によっては特に注意が必要な場合もある。
日々の生活の中で何を意識し、どのような変化に気をつけるべきなのか。浜松医科大学医学部附属病院の病院長であり、日本食道学会の理事長を務めている竹内 裕也(たけうち ひろや)先生に、予防から現在の新しい治療、術後の生活に至るまでを詳しく伺った。
食道という臓器が体の中でどのような役割を果たしているのか、意外とイメージしにくいかもしれません。
食道とは、喉と胃袋をつないでいる長さ25cmほどの1本の管で、直径は通常3cm程度です。
この臓器の最大の特徴は、食べ物を消化したり吸収したりする機能がまったくないという点にあります。口から入れたものを胃へと送り出す、いわば「専用の通り道」としての役割に特化しているのです。
胃や腸の表面は「腺上皮」という柔らかい組織なのに対し、口の中や食道は「重層扁平上皮」といって、ある意味では皮膚に近い組織でできています。
私たちは熱いお茶を飲んだり、刺激の強い辛いものを食べたりしますが、食道はそれらを最初に受け止める場所です。そのため、外からの強い刺激に耐えられるよう、非常にタフな構造になっているわけです。
しかし、裏を返せばそれだけ過酷な環境にさらされやすい臓器ともいえます。日々の何気ない食習慣が、知らず知らずのうちにこのタフな通り道に負担をかけている可能性を意識しておくことは大切です。
食道がんには、主に2つの要因があります。それは、「飲酒」と「喫煙」です。
この2つは独立したリスクですが、特に注意していただきたいのは、お酒を飲むと顔が赤くなる体質の方にとっての飲酒のリスクです。私たちは、お酒で顔が赤くなる方々を「フラッシャー」と呼んでいます。
私たちがお酒を飲むと、体内でアルコールがアセトアルデヒドという物質に分解されますが、実はこれはWHO(世界保健機関)でも認められている強力な発がん物質です。アセトアルデヒドは通常、「アルコール脱水素酵素」や「アルデヒド脱水素酵素」といった酵素のはたらきで無害な酢酸に変えられますが、日本人には生まれつきアルデヒド脱水素酵素のはたらきが弱い方が少なくありません。
アセトアルデヒドが分解されずに体内にたまると、その毒性が食道の組織を攻撃し続け、がんになるリスクを押し上げてしまいます。コップ1杯のビールで顔が赤くなる方や、今は飲めるようになったけれど昔は赤くなったという方は、この毒素に弱い体質である可能性が高いと考えられます。
さらに怖いのは、フラッシャーの体質に加えて、喫煙の習慣がある場合です。たばこ自体に含まれる有害物質も食道の組織に深刻なダメージを与えるため、飲酒と喫煙が重なると、リスクは相乗的に高まってしまうのです。
もしあなたがフラッシャーであり、さらにお酒やたばこの習慣を続けているなら、普通の方よりもずっと高い食道がんのリスクを抱えている可能性があります。
食道がんは、初期段階では驚くほど症状が出ないという特徴があります。内視鏡で見ると、最初はほんの小さなシミのような変化に過ぎず、患者さんが気付きにくいのです。
しかし、がんが大きくなってくると、食道の中を通る食べ物や飲み物のスペースが物理的に狭くなってしまいます。その結果として現れるのが、食道がんの典型的なサインである「つかえる感じ」です。
最初は硬いお肉がなんとなく引っかかるかな、という程度の違和感かもしれません。多くの方は「気のせいだろう」と我慢してしまいますが、次第に軟らかい食べ物が通りにくくなり、最終的には水さえも飲み込むのが難しくなってしまいます。
また、食道は胸の中にあるため、背中や胸の痛みが症状として出ることもありますし、声が枯れたり体重が急激に減ったりすることもあります。
一方で、食道がんは定期的な内視鏡検査で見つけやすいがんでもあります。健康診断などで受ける胃カメラは、実は胃に到達するまでの間に必ず食道を通ります。熟練した医師であれば、その通り道もしっかりと観察しています。また最近ではカメラの性能向上により数mm単位のがんを見つけることも可能になりました。
お酒で赤くなる体質の方は、ぜひ50代になったら年に一度、できれば半年に一度のペースで内視鏡検査を受けることを強くおすすめします。
もし食道がんが見つかったとしても、現在の医療では多くの選択肢が用意されています。ごく初期(ステージ0)であれば、胸やお腹を切ることなく内視鏡で表面を削り取るだけで治療が完結することもあります。
また、ステージ1では外科手術が基本となり、もう少し進行したステージ2や3の場合はまず抗がん薬治療でがんを小さくしてから手術に臨みます。
食道は他の臓器に比べてリンパの流れが非常に豊富で、首からお腹にかけて広い範囲に転移しやすいという厄介な特性を持っているため、がんをしっかり取り切るためには、食道の大部分と周囲のリンパ節をセットで切除する広範囲な手術が必要になるわけです。
こうした手術は以前であれば体への負担が非常に大きなものでしたが、最近では胸腔鏡下手術やダビンチなどのロボット支援手術が普及し、状況は大きく変わりました。小さな穴を開けるだけで極めて精密な操作ができるようになり、以前よりも出血を抑え、患者さんの体への負担をなるべく少なくする工夫がなされることで、手術後の入院期間が短縮される傾向にもつながっています。
一方、耐術能(手術や麻酔の身体的負担に耐える能力や体力)のない患者さんや手術を希望しない患者さんには抗がん薬と放射線治療を組みあわせた化学放射線療法が行なわれます。
さらに特筆すべきは、免疫チェックポイント阻害薬の登場です。以前であれば治療が非常に難しかったステージ4の食道がんの患者さんでも、免疫チェックポイント阻害薬と抗がん薬治療を行って手術に臨むことで5年以上も元気に過ごされている方が実際にいらっしゃいます。免疫チェックポイント阻害薬の登場はまさに革命的ともいえるほど、食道がんの治療成績は向上しています。
食道がんの外科手術の話に戻ります。
先ほども述べたように、進行した食道がんの手術は広範囲に及ぶことが多くなります。具体的には、食道の大部分を取り除き、代わりに胃の一部を使って新しい通り道を作ります。
実はこのとき、胃をそのまま持ち上げるのではなく、細い管のような形に作り替えてから喉のほうへと引き上げます。この場合、胃袋としてたくさんの食べ物を貯留していた臓器が、胸を通る「細い管」に形を変えるため、物理的にためておける容量が以前よりも少なくなります。
そのため、術後は以前のように一度にたくさん食べることは難しくなりますが、決して食事が楽しめなくなるわけではありません。一度の量を減らして回数を増やすなど、少しずつ新しい体のリズムに慣れていくことで、皆さんは元気に日常生活を送られています。車の運転や散歩も普段どおりにこなせますし、工夫次第で豊かな食生活を維持することは十分に可能です。
こうした治療方針を立てるうえで、私たちが大切にしているのが、患者さん一人ひとりの全身状態です。心臓や肺、肝臓といった他の臓器の機能はどうなっているか、また糖尿病などの持病はないかといった点を丁寧に確認し、何よりご本人がどのような生活を望まれているかを踏まえて、総合的に判断を下します。
というのも、前述したように、食道がんの手術は胸やお腹、時には首まで及ぶ非常に広範囲で特殊なもので、外科手術の中でも特に難易度が高く、患者さんの体への負担も大きい手術だからです。
したがって、心臓や肺の管理を含めた、きめ細やかで高度なチーム医療が欠かせません。実はデータでも、経験豊富な専門家がそろっている病院で治療を受けることが合併症を防ぎ、よりよい治療結果を得ることにつながるということが、はっきりと示されています。これから食道がんの治療を受けられる方は、そのような医療機関を選んでいただくことをおすすめします。
また、こうした専門的な治療の入り口に立つために、何よりも「早めに気付くこと」が大切です。
食道がんになりやすい方は、お酒やたばこが大好きで、つい病院から足が遠のいてしまう方も少なくありません。そのため、ご家族に連れられて来られたときにはすでに進行していた、というケースも見受けられます。早く見つけることができれば、それだけ体への負担が少ない治療を選べる可能性が高まります。繰り返しとなりますが、ぜひ定期的な内視鏡検査を受けていただきたいと思います。
そして、もし少しでも喉のつかえや違和感があれば、決して「気のせいだ」と1人で抱え込まずに相談してください。日本食道学会のホームページなどでは、患者さん向けの手引きや病気の説明が分かりやすく公開されています。
こうした正しい情報を手に入れることは、ご自身が納得して治療に向き合い、健やかな日常を取り戻すための第一歩になるはずです。
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