連載トップリーダー 語る

「死に至る感染症」から「普通の生活が送れる病気」に―エイズ治療の歴史と現在地

公開日

2025年04月16日

更新日

2025年04月16日

更新履歴
閉じる

2025年04月16日

掲載しました。
160742afe7

日本エイズ学会 杉浦亙理事長に聞く

米国で1981年、カポジ肉腫やカリニ肺炎(ニューモシスチス肺炎)を伴う奇妙な病気が報告され、エイズ(Acquired Immunodeficiency Syndrome=後天性免疫不全症候群)と名付けられた。患者が発症したカポジ肉腫やカリニ肺炎は免疫の低下で起こる「日和見感染症」で、臓器移植を受けるなどの事情がなければ発症するのはまれな病気だった。エイズの原因となる「ヒト免疫不全ウイルス(HIV=Human Immunodeficiency Virus)は1983年に分離・同定されたがしばらくは治療法が見つからず、「死に至る感染症」と恐れられた。それから40年以上の歳月をかけてHIV/エイズの研究は進み、感染しても“普通の生活”が送れるようになっている。日本エイズ学会理事長、杉浦亙先生(国立健康危機管理研究機構 臨床研究センター長)に、エイズ治療の進歩と現在地、残された課題などについて聞いた。

HIV制圧へ日本の多大な貢献

当初、エイズは治療法がなく、しかも急速に拡大したこともあり皆が必死になって薬をつくりました。そのおかげで多くの薬が実用化され、今の治療法につながっています。

エイズ治療の歴史は1987年の逆転写酵素阻害薬AZTから始まりました。その後、1995~1997年にプロテアーゼ阻害薬が3種類登場し、多剤併用療法が始まると一気に状況が変わりました。薬の種類が少ないと、治療が間に合わなかったりすぐに薬剤耐性が出たりします。プロテアーゼ阻害薬が登場したことで、「病気の進行を抑える」治療から「改善」に向けた治療ができるようになったのです。

それは革命的な治療の変化で、以降「力価(強さ)を高める」「血中濃度を高く維持する」「耐性が出にくいようにする」という3つの方向でどんどん新しい薬が作られました。

画期的だったのは、2007年のインテグラーゼ阻害薬 の登場です。ウイルスが細胞に感染するのを阻止する作用があり、さらに治療が改善しました。最初のころは1日に両手いっぱいの薬を飲まなければいけなかったのが、やがて半分になり、2剤になり、今ではインテグラーゼ阻害薬を中心とした必要な成分が1つのタブレットにまとめられた合剤を1日1錠服用する治療がスタンダードになっています。

さらに進んだ、半減期(血液中の薬の濃度が半分になるまでの時間)の長い「ロングアクティング」の注射薬も出ています。インテグラーゼ阻害薬のカボテグラビルと非ヌクレオシド系逆転写酵素阻害薬のリルピビリンの合剤では、2カ月に1回の注射でHIV感染をコントロールできるようになりました。2023年に登場したカプシド阻害薬のレナカパビルは半年に1回の注射でよいといわれています。

諸外国と比べると日本のエイズ患者数は少ないのですが、HIV制圧には治療薬開発で多大な貢献をしてきました。最初に登場したAZTに加えて初期の3剤は現在、国立健康危機管理研究機構 国立国際医療研究所 所長の満屋裕明先生が米国NIHの研究室で開発されたものです。ほかにも日本の研究者、製薬企業が開発に携わった薬が多数あります。

根治薬、ワクチンはチャレンジングな目標

治療薬の発達のおかげで、HIVに感染しても命を落とすことはほぼなくなりました。薬をきちんと飲んだり注射を受けたりすれば非感染者と同様の日常生活を送ることができるようになりましたし、余命もほぼ同等になってきています。そのため「エイズは治るようになった」といわれるのですが、それは誤解です。「治る」という言葉が意味するのは、体からHIVを排除して薬を飲まなくてもよい状態になることですが、それができる薬はまだありません。

HIVに対する理解を広げるメッセージの1つに「U=U(ユー・イコールズ・ユー:Undetectable equals Untransmittable)」があります。血液中のHIV量が検出限界以下(Undetectable)であれば、性行為によっても感染しない(Untransmittable)ことを表し、日本エイズ学会も支持しています。

ですが、薬をやめれば再びウイルスが活性化して病気が進行するという現実があります。日本ではもともと感染者数が少なく、治療ができるようになってきたためにエイズを自分たちの身近な問題として感じていない人が多いように思います。治療可能になったことでエイズを特別な病気として捉えなくなり警戒心が薄れている面もあるかと思いますが、予防ができるということを忘れずに、警戒心をなくしてはいけません。

治療の進歩によって、HIV感染者は非常に大きな希望を手に入れていると思いますが、究極の目標としてはHIVを完全に除去できる治療法(根治薬など)と予防ワクチンをつくることです。ただ、HIVはレトロウイルス*というグループに属し、その性質から根治薬やワクチンをつくるのは非常にチャレンジングな目標です。取り組むべき課題ではあるのですが、U=UとPrEP**によってしっかり感染をコントロールすることで、その目標を達成する前に制圧できるかもしれません。少なくとも比較的感染者数が少ない日本国内では、感染は劇的に減少すると思っています。

*レトロウイルス:細胞に感染したのち「逆転写酵素」と呼ばれる酵素で自身の遺伝情報を含むRNAからDNAの複製を作り感染した細胞のDNAに組み込むウイルス。HIVのほかにヒトT細胞白血病ウイルス(HTV)などが含まれる。

**PrEP:曝露前予防(Pre-Exposure Prophylaxis)の略で、HIV非感染者が持続的に服薬することで性交渉などによるHIV感染のリスクを低減させる方法。

学会のベースは「学問」

日本エイズ学会は、医師・研究者に加えてパラメディカル(医師以外の医療従事者)やコミュニティー(患者団体)の人たちも加わった、日本では少し異色な学会です。そのため、学会の果たすべき役割も構成員ごとに異なります。さまざまな関係者といろいろな活動をしてはいますが、やはり学会としてのベースは「学問」であり、確固たるサイエンスの部分を堅持していきたいと思っています。

また、国際会議を日本で開催すべく、いろいろとトライをしています。競合は多いのですが、国内で国際会議を開くことによって、日本の医師に改めてHIVに関心を持ってもらうと同時に、一般の方たちにも「そういう病気があるんだ」ということを思い出してもらう1つのきっかけになればよいと思っています。

学問に関しては、海外で開かれた国際会議の参加者が得た知識を国内の関係者にフィードバックする事業ができればと思っています。以前行われていたのですが、会員の関心を維持していくためにそういった教育にも力を入れたいと思っています。

奥が深いHIV/エイズ研究

HIV/エイズの研究のやりがいは、非常に奥が深いことです。

エイズは、結核、マラリアと並んで「世界3大感染症」の1つに数えられています。短期間で急速に世界的に拡大したこともあり、HIV/エイズは感染や拡大予防のために子細に研究されました。HIVは最も研究されているウイルスの1つで、実験方法なども確立しています。一方で、宿主と病原体との関連の解明などやるべきこともたくさん残っています。根治療法やワクチンの開発など非常に高い目標がまだ残っていて、チャレンジングな研究分野です。

また、全世界には約4000万人のHIV感染者がいて、1年間に約130万人が新たに感染しています(2023年、UNAIDS<国際連合エイズ合同計画>推計)。研究の成果はそれだけ多くの人々に恩恵が及ぶのです。

少し余談になりますが、私たちのゲノムの8%程度にはレトロウイルスと似た構造が見られるといいます。それが意味するのは、私たちは過去に何度もレトロウイルス感染に遭遇し、その遺伝子を内在化してきた歴史があるということです。詳細は省きますが、レトロウイルスに感染することはおそらく進化と関係があり、考えようによって私たちはエイズと戦うことで“進化にあらがっている”のかもしれません。

このようにいろいろな側面からも研究できることがこの分野の魅力なのです。

若い医師を研究に振り向かせたい

研究者個人として、今やりたいことの1つは若手の育成です。残念ながら日本では医学部を出て研究に携わる人が激減しています。アメリカの大学に行くと、研究者の層が非常に厚く、「こんなことまでやってるの?」という分野にも複数の研究者がいて、議論することで切磋琢磨して成果が上がっています。翻って日本ではそうした状況ではありません。教育に力を入れて、若い医師をなんとか研究に振り向かせたいと思っています。

もう1つ、いろいろな感染症のゲノムを解析し、データ化して次世代につないでいくことができればと思っています。日本ではいまだにゲノム解析のキャパシティーが不足しています。COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の拡大が始まったころは(ゲノムの一部を調べる)PCR検査体制の不備が指摘されていましたが、落ち着いて「もう大丈夫」という意識になってしまうと、ウイルス研究への関心も薄れてしまい、今後の研究資金への影響が気がかりです。

そういうところに官民を問わず継続的な投資を呼び込み、恒常的に研究ができるような体制を作るのが夢です。
 

取材依頼は、お問い合わせフォームからお願いします。

トップリーダー 語るの連載一覧