研究力の低下、医療の基盤となる内科医志望者数の減少――。日本の医療にはさまざまな課題が取り巻いています。こうした課題に対し、日本腎臓学会では多様な取り組みを行っています。「若手の登用、多様性(ダイバーシティ)の確保が特に重要であり、これこそが学会の未来を決める」と語る、理事長の南学 正臣(なんがく まさおみ)先生(東京大学大学院医学系研究科 研究科長 腎臓・内分泌内科学教授)に、日本の医療を取り巻く課題、学会としての役割、腎臓学の魅力などを伺いました。
腎臓領域に限らず、現在の日本の医療において大きな問題となっているのが、研究力の低下です。その要因はさまざまですが、主に3つの点が考えられます。
1つ目は「専門研修制度の問題」です。専門医資格を取得するためには、2年間の初期臨床研修を経た後に、3〜5年間の専門医研修を行います。その間、臨床研修にフルに時間を費やすことが求められるため、研修プログラムを終えた時点で研究に進む余力が残っていない医師が多い現状です。かつてのように、いつ専門医資格を取得してもよいというフレキシブルな形ではなくなってしまったことが影響していると考えています。
2つ目は「研究時間の減少」です。多くの病院が大幅な赤字を抱えるなか、よりいっそう、診療で収益を上げることが求められています。その一方で、2024年4月に開始された医師の働き方改革により労働時間には制限がかかりました。患者さんに直結する診療時間は削ることができないため、結果として研究と教育にかける時間が確保できなくなっている状況です。
そして3つ目は「若手医師の内向き志向」です。海外留学をする医師は減少傾向にあり、国際的な視野を持つ機会が失われています。これは医学界に限らず日本全体も同様で、たとえばパスポートの取得率は、他先進国が5〜8割であるのに対し、日本はわずか17%に過ぎません(2024年時点)。国自体が内向きになり、海外に打って出て交流する人が減ったことも、医学系全体の研究力低下につながっていると感じています。
そうした状況に拍車をかけているのが「大学離れ」です。大学病院は、民間の病院に比べて給与がよいとは言えません。その一方で、診療に加えてさまざまな業務(エフォート)が必要となります。そのため、大学で臨床と研究の両方に取り組もうという意欲を持てる若手が減ってしまっているのです。
また、最近では「内科離れ」も深刻な問題になってきています。以前から外科系や産婦人科の志望者の減少が指摘されていましたが、内科系も同様の事態に陥ってきています。内科は医療の最も基盤となる診療科であり、本来、専攻医の約4割が内科医になるのが適切だと試算されています。しかし、現実には毎年3割強しか内科を選択していません(2025年2月時点)。内科と外科という最も基盤的な科で医師が足りなくなれば、日本の医療は崩壊しかねません。凄まじい勢いで内科医減少が進んでいることを、非常に深刻に捉えています。
幸い、腎臓領域は内科の中では比較的人気がある分野です。一部の他の内科系診療科ほど深刻ではありませんが、それでもこの領域に十分な人材が入ってきてくれなければ、将来的に大きな問題になるでしょう。これらの課題を解決することは、日本腎臓学会、日本内科学会、そして医学界全体における重要な責務だと認識しています。
日本腎臓学会の使命は、腎臓学・腎臓病学の研究と普及を通じて社会に貢献し、国民の負託に応えることです。この使命を達成するため、研究の推進、人材育成、生涯教育、そして研究成果を社会に還元し、国民の健康福祉へ貢献する活動を行っています。なお、これらの活動を効率的かつ計画的に行うため、学会では「日本腎臓学会5カ年計画」を定期的に策定・更新しています。
特に重要視しているのは、人材育成、そしてそれに伴う若手の登用と多様性の確保であり、これこそが学会の未来を決めると考えています。若手・中堅の学会員にはさまざまな場面で積極的に活躍してもらい、多様な経験を積むことで視野を広げてほしいと願っています。多様性については、年代、所属組織、立場などの多様性を促進することが重要であるという問題意識を学会内で共有するようにしています。また、若手の登用と多様性の確保の推進に向けて、若手の委員会であるJSN Next Frontiers 2028 委員会やダイバーシティ推進委員会を学会内に設置しています。
研究力強化の面では、先代の理事長である柏原 直樹(かしはら なおき)先生の先見の明により、学会としてさまざまなデータベースやバイオバンクの構築に着手してきました。現在、包括的慢性腎臓病データベース(J-CKD-DB)、腎臓病総合レジストリー(J-KDR)、慢性腎臓病症例のバイオバンクであるJ-Kidney-Biobankなどが稼働し、腎臓病データベース小委員会や腎臓病バイオバンク構築小委員会といった組織の下、非常によい成果を上げています。
また、他学会との連携や分野横断的な取り組みを強化しており、学会員が国際的な視野を獲得できるよう国際連携にも力を入れています。学会の総会では毎年、国際腎臓学会(ISN)、アメリカ腎臓学会(ASN)、ヨーロッパ腎臓学会(ERA)、アジア太平洋腎臓学会(APSN)との合同セッションを開催しています。2026年3月には36年ぶり2回目となる国際腎臓学会総会(WCN2026)を日本(パシフィコ横浜)で開催します。こうした機会を通じて、若手・中堅の先生方にはぜひ国際的な視野を養っていただきたいと考えています。
腎臓学は臨床と研究が両立しやすい分野です。また、伝統的に日本が非常に強く、世界をリードしてきた分野の1つであることも腎臓学の大きな魅力だと考えています。学問領域によっては明らかに他国がリードしている分野もありますが、腎臓学は日本できちんとした仕事をすることがそのまま国際的な活躍につながる、非常にエキサイティングな分野だと思います。
また、腎臓学は扱える領域が多様であることも魅力でしょう。たとえば、外科的なことが好きな人であれば、「インターベンショナルネフロロジー」という領域があります。内科医でありながら、透析に必要なシャント手術や長期留置カテーテルの埋植といった外科的な手技を扱う領域です。反対に、腎生理などの基礎研究を追求する人もいれば、腎病理を専門にする人もいます。このように腎臓学という大きな枠組みの中で、自分が好きな領域を選んでキャリアを築いていけることも、この分野のよさではないでしょうか。
先述したように、日本の腎臓学は世界をリードしてきました。これをさらに発展させていくことが私たちの使命だと考えています。幸運なことに、日本腎臓学会はこれまで素晴らしい理事長に恵まれてきました。先代の柏原先生、その前の松尾 清一(まつお せいいち)先生、さらにその前の槇野 博史(まきの ひろふみ)先生といった傑出した先生方が理事長を務められ、学会を大きく発展させてこられました。先達方が築き上げてこられた偉大な功績を、若手・中堅の人たちと一緒にさらに発展させていきたいと思います。
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