心臓の重要な血管が詰まると心筋梗塞に、脳の血管が詰まると脳梗塞になるように、血管を流れる血液が固まって詰まったり、逆に固まらなくなって出血が止まらなくなったりすると命にかかわります。日本血栓止血学会は、こうしたさまざまな病気にかかわる血液の凝固と止血に関して基礎から臨床までの研究に携わる医療者が集う学術団体です。松本 雅則理事長(奈良県立医科大学 血液内科学講座 教授)に、この領域が抱える課題や展望、研究の魅力などについてお聞きしました。
血栓止血領域の専門家は“絶滅危惧種”と言われるほど数が減っています。この領域が対象とする病気の患者さんを紹介しようと思っても、対応できる医師が地域に1人もいない、あるいはいても1~2人という状況になっています。ただし、血栓止血領域の専門家に紹介すべき困った症例はそれほど多くはなく、そうした状況は医師1人当たり数年に一度程度でしょう。
たとえば「血栓性血小板減少性紫斑病(thrombotic thrombocytopenic purpura:TTP)*」は、1人のドクターが一生に1人の患者さんに出会う程度と言われている非常にまれな病気です。最近承認された治療薬で寛解に導くことができる可能性が高いのですが、無治療では患者さんの多くは亡くなってしまいます。その病気を知っているか知らないか、専門家にたどり着けるか否かで大きな差が出るのです。
血栓止血領域の病気ではさまざまな治療薬が開発され、病気が正しく鑑別できていれば多くの症例では治療は何とかなっているのですが、トラブルやイレギュラーなことが起こると専門家が少ないため非常に困る、というのが現状です。
なぜこのような状況になってしまったのかというと、この領域は「労働時間の割にお金にならない」ので、若い医師からは、将来が描けないと敬遠されてしまっているのではないかと思っています。血栓止血学の魅力は、研究と臨床が近く、研究の成果をすぐに患者さんに届けられる点にあります。お金がもうからなくても研究成果は得られるので、知的好奇心が満たされたり達成感を得られたりするのですが、それを「楽しい」と思える若い人が非常に少なくなったのかもしれません。
*血栓性血小板減少性紫斑病:全身の微小血管に血栓ができ、細い血管が詰まることで臓器に障害が起こる病気。血管内で血栓が作られるのを防ぐ「ADAMTS13」という酵素のはたらきが低下することで発症する。無治療の場合は約9割が死亡するとされる。
日本ではがんが最多の死因とされています。がん患者は出血や血栓が原因で亡くなることも多いためそれをきっちり治療しないといけないのですが、十分に治療されていないケースをよく見かけます。
また、死因2位の心疾患に含まれる心筋梗塞、4位の脳血管疾患はいずれも血栓止血学がベースの病気なのですが、その点が注目されていません。「老化で血管が硬くなるから詰まる」とよく言われますが、血管の中で詰まるのは血栓ですから、流れている血を研究する人がいないのはおかしいと思っています。ところが、国も含めて血栓止血学の重要性が十分認識されていないのです。血栓止血学に携わる人たちがもっといろいろなところに働きかけるべきだと思いつつも、現状では十分実現できていません。(死因の順位は厚生労働省「令和6年人口動態統計月報年計」より)
血栓症と出血症の専門家が集まる「国際血栓止血学会」は、循環器科や産婦人科、外科などさまざまな領域の人たちが集まる国際学会です。日本血栓止血学会は日本医学会連合には加盟しているものの会員数約1300人(2025年3月時点)の小所帯です。国際学会と同じように血液以外の診療科の先生方にも入ってもらいたいと思っているのですが、なかなか目を向けてもらえないのが現状です。
血栓止血学領域では、古くから知られている血友病*、免疫性血小板減少症(immune thrombocytopenia:ITP)**、私が専門にしている血栓性微小血管症(thrombotic microangiopathy:TMA)***や先ほどお話ししたTTPなど、さまざまな病気に対して近年、新薬が登場しています。それによって治療の選択肢が広がるのは喜ばしいのですが、問題は新薬のグローバルな治験に日本が入れないことです。これは血栓止血領域に限ったことではないですが、海外の人たちと一緒にグローバルな視点をもって治験に参加しようという研究者が、少なくなってしまったのが原因だと思っています。
血栓止血学会はもともと、基礎研究がメインの学会でした。ところが最近では治療のみ行う医師が多く、薬の使い方は分かるけれども基礎研究に従事しない医師が多くなってしまいました。私は、近年よく使われる言葉で「トランスレーショナル・リサーチ(橋渡し研究)」と言われる、基礎と臨床をつなげられる人材を増やしたいと思っています。
私たちが若いころ、血栓止血学は「ベッドとベンチが近い」と教わりました。研究していることが臨床で生かせるという意味で、それは研究でも臨床でもやりがいにつながると思っています。投薬することで患者さんの治療をしているのですが、その薬がなぜ効くのか十分理解しないまま使うのではなく、薬が作用するメカニズムを理解する、もっと言えば薬を開発する段階からかかわってもらいたい――それができる人材を増やしていくのが、学会としての使命だと考えます。
そのためには血液内科だけではなく循環器内科や脳神経内科、産婦人科、外科といった、血栓止血学と関連するほかの領域の先生たちに入会してもらい、より広い視点で発展できる学会にしていきたいと思っています。
*血友病:出血が起こった際に止血のために血小板を集めて血栓を作る「凝固因子」が不足することで、出血を繰り返す病気。第8因子が不足する血友病Aと第9因子が不足する血友病Bがある。不足している凝固因子を補充することで治療する。
**免疫性血小板減少症:明らかな基礎疾患や原因となる薬剤がないのに血小板が減り、出血を引き起こす病気。血小板の膜タンパクを標的とする自己抗体が原因で血小板が破壊されるなどする。さまざまな治療薬が開発されている。
***血栓性微小血管症:微小血管内に血小板の血栓ができ、血小板が減少し、それらの影響で赤血球が破壊されて貧血や臓器障害が起こる病気。原因によって治療法、治療薬は異なる。
自分が直接診療した患者さんではないのですが、私がこの研究を続けようと思った印象深い症例があります。
その患者さんは、子どものときから風邪をひくと血小板が減少するなどし、ITP(免疫性血小板減少症)と診断されていました。27歳で妊娠した際に血小板の減少がみられたため、ITPとして治療を受けました。ところが、症状は改善せず妊娠20週を過ぎたときに意識障害を発症し、子宮内胎児死亡になったうえ、出血が止まらないため子宮も全摘することになりました。治療を続けるなかでITPではなく冒頭でお話ししたTTP(血栓性血小板減少性紫斑病)が疑われ、我々が検査することにより診断され、母親である患者さんの命は助かりました。
TTPには後天性と先天性があり、先天性は国内での確認患者数が70例(2022年時点)という非常にまれな病気です。この患者さんは先天性TTPで、妹さんがいらっしゃいました。妹さんは、お姉さんから2か月遅れで妊娠していることが分かり、調べたところ同じように血小板の減少がみられました。そこで、TTPとして治療し、30週まで妊娠を継続し帝王切開して無事に出産されました。
この患者さんのことを知って、強い衝撃を受けました。先天性TTPはよい薬ができたので、きちんと診断し、サポートすれば子宮内胎児死亡を起こさずに済ませられる可能性が高くなります。しかし、子どものときに正しく診断されないとこうした悲しいことが起こってしまいます。学問は常に進歩しますが、それに追いつき、新しいことを知らなければ患者さんを不幸な目に合わせてしまいかねません。先天性TTPのような非常に希少な病気であっても、そういうものがあるということを知っておくことは大切です。
血栓止血学に携わる若手が大幅に減少してしまったことに対して、非常に大きな危機感をいだいています。学会理事長としても個人としても、基礎研究をもっと頑張ってもらうのはもちろん大切ですが、まずは患者さんがあっての基礎研究ですから、基礎と臨床が融合できるような施策を続けていきたいと思っています。
そのために、研究の楽しさややりがいを若い人たちに見せて知ってもらうことが私の使命です。先ほどもお話ししたように血栓止血領域には多くの診療科がかかわっていますので、さまざまな学問分野の指導的な立場の先生にまずは参加を促し、その広がりを呼び水として若い人たちが血栓止血学に関心をもつようにして、世界に通じるような研究が日本で行われるようになることを目標にしています。
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