日本に約1万人*の患者さんがいるとされる筋萎縮性側索硬化症(以下、ALS)。運動神経細胞がダメージを受けることで全身の筋肉が徐々に動かしづらくなっていく難病で、国内外で治療薬の開発が進められています。そうしたなか、日本神経治療学会はさまざまな神経疾患の治療に特化した学会として、ALSの創薬推進に向けた取り組みを始めています。今回は、日本神経治療学会の理事長である青木正志先生(東北大学大学院医学系研究科 神経・感覚器病態学講座 神経内科学分野 教授)と、アメリカで長年ALS診療を牽引されてこられた三本博先生(コロンビア大学 Wesley J. Howe 神経内科 名誉教授)に、日米における神経疾患領域の学会の違い、ALSへの取り組みなどを中心に対談いただきました。対談の内容をお送りします(進行:東邦大学医学部内科学講座神経内科学分野 教授 狩野修先生)。
*2023年度の特定医療費(指定難病)受給者証所持者数より
狩野先生:
はじめに日本神経治療学会について教えてください。
青木先生:
もともと日本には1万人以上の会員が所属する「日本神経学会」があります。神経内科領域の学術的な基盤となる学会で、臨床、研究、教育など幅広くカバーしていますが、学会の特性上、小回りが利きづらいという側面を持ちます。そこで神経疾患の治療に特化した学会として1992年に「日本神経治療学会」が設立されました。
かつて神経疾患は治療が難しい病気でしたが、最近ではさまざまな治療法が登場しています。日本神経治療学会ではそうした新たな治療法の情報共有、さらには新薬開発の推進にも力を入れています。PMDA(医薬品医療機器総合機構)に出向していた神経内科医や、製薬企業で医薬品開発に携わっている神経内科医なども日本神経治療学会の活動に参画していて、さまざまな立場から意見を出してくれています。年に一度の学術集会には企業の方も多く参加してくれているので、今後は産学連携にもフットワーク軽く取り組んでいきたいと考えているところです。

写真:青木正志先生
狩野先生:
日本神経治療学会はアメリカのASENT(American Society for Experimental Neurotherapeutics:米国実験的神経治療学会)との交流も活発にしていますよね。私も来年のASENTの年次総会に日本神経治療学会のメンバーとして参加させていただく予定です。
三本先生:
ASENTとの交流はユニークな取り組みですね。アメリカには日本神経治療学会のように神経疾患の治療だけに特化した学会はありません。以前、日本神経治療学会から招待をしていただき学術集会に参加した際、とても素晴らしい学会だと感じました。アメリカにも日本神経治療学会のような学会があればよいなと思っています。
狩野先生:
アメリカには神経内科領域の主要学会としてANA(American Neurological Association:米国神経学連合)とAAN (American Academy of Neurology:米国神経アカデミー)の2つがありますよね。
三本先生:
2つともアメリカの神経内科領域における主要学会ですが、両者の違いとして、ANAは敷居が高くて誰でも会員になれるわけではありません。大学のポジションや論文の実績など、厳しい諸条件をクリアした医師だけが会員になることができる歴史と権威ある学会です。一方でAANはANAのように会員になるためのハードルはないので会員数が多く、非常に大規模な学会です。医学的にも政治的にも力を持った学会になってきていると感じています。アメリカで日本神経治療学会のような学会がないのは、これらの学会の存在が大きいかもしれませんね。
狩野先生:
アメリカにALSに特化した学会はあるのでしょうか?
三本先生:
北米ALSコンソーシアム(NEALS:Northeast Amyotrophic Lateral Sclerosis Consortium)が学会のような役割を担っていますね。NEALSはALSの治験や臨床研究を推進している団体で、アメリカでALSに携わっている施設の多くはNEALSに加盟しているのではないでしょうか。治験や臨床研究をスピーディーに行うためのシステムが非常に整っていて、大変尊敬すべきコンソーシアムだと感じています。
青木先生:
日本にもALSに特化した学会はないので、NEALSのような役割を日本では私たち日本神経治療学会が担っていく必要があると考えているところです。NEALSの取り組みを参考にしながら、さまざまある神経疾患の1つとしてALSの治療薬開発にも積極的に取り組んでいきたいと考えています。
三本先生:
それはとてもよいですね。すでに学会という形になっているので実現しやすいのではないでしょうか。日本神経治療学会の一部として、ALSの創薬を推進できるような仕組みをつくれればよいですね。
狩野先生:
三本先生はThe ALS Association(米国ALS協会)のALSクリニック基準委員会・認定委員会の初代主任を務められ、全米を回られたとお聞きしています。その後、全米各地で次々とALSクリニック(ALSセンター)*が認可されました。今ではアメリカにおいては、ALS患者さんはALSクリニックで診療を受けるのがスタンダードになっていると聞いています。
*ALSクリニック(ALSセンター): ALS患者さんが、1回の受診で多職種による包括的な診療を受けることができるALSの専門外来のこと。
三本先生:
そうですね。アメリカにはALSクリニックを資金面などからサポートしている組織が大きく2つあります。1つはThe ALS Association、もう1つがMDA (米国筋ジストロフィー協会)です。2つの組織が運営しているALSクリニックを合わせて、現在全米で150ほどのクリニックがあるのではないでしょうか。
青木先生:
日本では2017年に国内初のALSクリニックが東邦大学医療センター大森病院に開設されました。アメリカのALSクリニックを参考に狩野先生らが立ち上げられた専門外来で、2020年にはアジアで初めてNEALSにも加盟しています。ALS診療によい効果をもたらしている一方で、資金面でのサポートがなかなか得られないために工夫して運営せざるを得ない状況だと聞いています。アメリカには寄付の文化がありますし、医療収益の面でも恵まれているような印象があるのですが、実際はいかがでしょうか。
三本先生:
確かにアメリカには寄付文化があるので、たまたま裕福な患者さんがいらっしゃれば、その方が多額の寄付をしてくださることもあります。そうした金銭面のサポートが得られているALSクリニックはよいですが、アメリカでも多くのALSクリニックは資金繰りが厳しい状態です。やはりALS診療には非常にコストがかかるので、昔から診療体制をいかに維持していくかという課題を抱えています。アメリカの場合、再診療だけでも日本円にして数万円単位の金額にはなりますが、その分支出も多いので収入よりも支出が上回ってしまう状態です。診療報酬だけでALSクリニックを運営することはできないので、寄付や臨床研究を行うことによる企業からの資金提供でなんとか成り立っている状態です。臨床研究の目的はもちろん新薬開発ですし、それが最も重要なミッションではありますが、ALSクリニックを維持していくために必要な資金を得るという面でも意義のあることだと考えています。

写真:三本博先生
狩野先生:
日本神経治療学会では現在、臨床試験のための臨床評価ガイドラインの作成を始めているところです。NEALSのプラットフォーム試験*に入っている薬剤を見ても、ほとんどがスタートアップ企業ですよね。日本にゆかりのない海外のスタートアップ企業でも日本でALSの臨床試験が実施しやすいように、日本語版と英語版の臨床評価ガイドラインを作成して、日本神経治療学会のホームページに掲載する予定です。
*プラットフォーム試験:1つの病気に対して複数の新規治験薬を同時に評価するために、共通のプロトコール(試験計画書)のもと数種類の治験薬をランダムに患者に割り当てて実施する試験。複数の新規治験薬の有効性をスピーディーかつ効率的に評価でき、試験期間中に治験薬の追加や除外も認められている。

写真:狩野修先生
三本先生:
それはよい取り組みですね。創薬といえば、日本は創薬技術が非常に優れていますよね。特に抗がん薬や抗菌薬は日本から素晴らしい薬がいくつも誕生しています。日本での創薬を推進するためにも、日本の優れた創薬技術をもっと世界に向けて積極的に発信していくことが大切だと思います。
ALS治療薬のエダラボンは日本で承認された後、そのままFDA(米国食品医薬品局)でも承認されました。しかし、アメリカで承認された薬は日本で承認されるまで長い時間がかかります。また、アメリカは物価が高いので臨床研究をするのに莫大なコストがかかります。日本で臨床研究を行うことによる経済的メリットの大きさについても発信していくことが大切でしょう。
青木先生:
そうですね。ALS治療薬開発を目指して、日本での創薬をもっと推進していかなければならないと感じています。また日本人は性格的に丁寧でプロトコール(試験計画書)もきちんと守る国民性があります。治験のクオリティが高いことは結果にもよく現れているように感じます。
三本先生:
本当にそう思いますね。そういう面では日本は海外の国々からもとても尊敬されていますよね。十分に世界レベルに達しているので、誇りと自信をもって日本からALS治療薬を開発していってほしいと思います。
狩野先生:
長年にわたりALS診療・研究を牽引されてこられた立場として、ALSにかける思いをお聞かせください。
三本先生:
私がまず伝えたいことは早期診断の重要性です。できるだけ早く診断をつけて治療を開始することがALSの予後に大きな影響を与えます。そのほかALSでは適切な栄養摂取が治療の鍵となるので、これらの重要性については何度でも繰り返し伝えていきたいと思います。また、アメリカではNEALSが全力を挙げてALSの創薬に取り組んでいるので、今後の治療薬開発にも大きな期待を寄せています。
青木先生:
三本先生のおっしゃるように、早期診断はとても大切です。ALSの中には、特定の遺伝子に変異が起こることによって発症するタイプのものがあり、遺伝子変異をターゲットにした治療薬が近年登場しています。これにより患者さんの予後を大いに改善できる可能性がみえてきており、運動神経細胞が破壊される前に治療を開始することができれば、進行をかなり食い止められる可能性もあるのではないかと考えています。ALS研究や創薬の技術は目覚ましく進歩しているので、決して希望は捨てたくないですね。
狩野先生:
先生方がALSの道に進まれた理由、今後への思いをお聞かせください。
三本先生:
私は渡米して50年以上になりますが、実は最初はすぐに日本に帰るつもりでいました。しかし基礎研究の経験なく日本に帰るわけにはいかず、ボストンのタフツ大学で神経疾患の基礎研究を行うことにしたのです。そこで行ったのが、当時ALSモデルとされていたウォブラーマウスの研究でした。2年間、来る日も来る日も朝から晩までマウスの研究に没頭していたのですが、マウスの病気を解明するのは非常に難しく、一生をかけても解明することはできないと感じるようになりました。そしてあるときふと「自分はマウスの医者ではない。人間の医者として一生をかけるべきだ」と感じたことが、ALSの道に進んだきっかけです。物事は偶然から大きく動き始めるものだなと思います。
青木先生:
私が神経内科医になったのは、ALSに取り組みたいと思ったことが理由です。当時、ALSは今以上に治療法がない難病中の難病で、何とかしてALSの患者さんを助けたいという気持ちを強く持っていました。その思いは今も変わりません。先にもお話ししたようにALSの治療は進歩を続けています。これからもALSの患者さんを救うために、ALS治療の推進に向けて全力で取り組んでいきたいと思います。
取材依頼は、お問い合わせフォームからお願いします。