連載地域医療の現在と未来

「病院が水没した日」―久留米の豪雨で被災した病院が復活するまでの軌跡に学ぶ

公開日

2025年07月18日

更新日

2025年07月18日

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2025年07月18日

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田主丸中央病院 鬼塚 一郎先生

2023年7月、福岡県久留米市の田主丸地域を襲った豪雨災害により、地域医療の中核を担う田主丸中央病院は甚大な被害を受けた。MRIやCTなどの医療機器が水没し、停電や断水で病院機能が麻痺――。だが、病院のスタッフが支援に駆けつけたDMAT(災害派遣医療チーム)と連携し、地域住民の支援も受けて迅速な復旧が成し遂げられた。

田主丸中央病院 理事長・院長の鬼塚 一郎(おにつか いちろう)先生に、水害当時の状況とその後の取り組み、そして今後への思いを伺った。

病院機能の麻痺と絶望のなかで始まった復旧への一歩

2023年7月、我々の病院がある田主丸地域を襲った豪雨は、私たちにとって本当に大きな試練でした。病院の周囲には水が押し寄せ、一面がまるで湖のようになってしまったのです。1階は完全に水に浸かってしまい、当初はスタッフも私も、何をどうしたらよいのか分からず、ただ立ち尽くすばかりでした。私は正直なところ、「もう病院は再開できないかもしれない」「法人としても終わりかもしれない」、という思いが頭をよぎりました。

しかしその状況を、浸水からさほど時間がかからずに久留米周辺の病院から駆けつけていただいたDMAT(災害派遣医療チーム)の皆さんと、地域のボランティアの方々が変えてくださいました。彼らに励まされ、「とにかく、今できることからやっていこう」と、スタッフみんなで少しずつ復旧に取りかかりました。

DMAT・ボランティア・病院スタッフが一丸となり病院機能の回復へ

まずは泥だらけになった院内の清掃です。床や壁にこびりついた泥をかき出す作業は本当に大変でしたが、ボランティアの皆さんの力強い手助けがあり、あっという間に病院の中が見違えるほどきれいになっていったのを覚えています。ただ、医療機関として清潔さは欠かせません。結局、1階の床はほぼ全て張り替えることになりました。

機器類の被害も深刻でした。MRIやCT、血管造影装置など、電気を使う大切な機械も全て水に浸かってしまい、使用不能となったのです。メーカーに動作確認をお願いしても、「安全性の保証はできません」とのことで、泣く泣く全て買い替えることにしました。

さらに、水害の影響で一時的に電気も止まってしまい、エレベーターが使えなくなりました。真夏の暑さのなか、食事や物資を上の階へ運ぶのは、本当に過酷な作業だったことを覚えています。エアコンも止まっていたので、院内は蒸し風呂のような状態です。非常用電源で扇風機を回し、なんとか暑さをしのぎましたが、「電気が使えない」状況が病院にとって致命的な問題になることを、身をもって痛感しました。

また、電気やきれいな水が使えない状況だと、入院中の透析患者さんに透析の治療を提供することができません。そこで私たちはDMATの方々と緊密に連携を取りながら、透析の学会をはじめとする専門組織とも力を合わせ、迅速に久留米市内の他の病院への搬送の手配を進めていきました。搬送の際には安全確保や治療の継続に細心の注意を払い、多くの配慮が求められましたが、関係機関との連携がうまく機能したおかげで、大きな混乱を招くことなく患者さんを無事に移送することができました。

浸水被害を受けた直後は、外来の再開には少なくとも1か月はかかるのではないかと覚悟していました。ところが、DMATや延べ約700人ものボランティアの皆さん、そして病院のスタッフが一丸となって復旧作業に取り組んだ結果、外来診療はわずか1週間で再開でき、透析治療も2週間以内に復旧にこぎつけました。電気や水道も予想より早く復旧し、エレベーターやエアコンが再び稼働したときには、胸をなで下ろしたことを今でもよく覚えています。

「100年に一度の豪雨」に備える病院づくりへ

今回の水害を経験した後、私は当院の目標を「100年に一度の豪雨でも浸水しない病院にすること」としました。
水害はいつ起こるか分かりません。そこで当院ではこの目標の達成に向け、まず4億円もの費用をかけて防水壁や止水板の設置、排水ポンプの増強など、施設を徹底的に整備することにしました。防水壁は敷地の周囲約630mを、最大高さ1.6メールのコンクリートで囲うものです。排水ポンプは1分あたり250Lの水を排水する能力があるものを30台以上設置しました。

病院スタッフの訓練もいっそう強化し、実際の状況に即した災害対応マニュアルの作成にも力を入れました。また、「マニュアルよりも訓練こそが大事だ」との実感のもと、1階にいらっしゃる患者さんを上の階に運ぶ垂直避難訓練を繰り返し行うなど、訓練にはみな身を入れて取り組んでいます。さらに、地域の皆さんに助けていただいたことを踏まえ、地域の皆さんのためのボランティア活動にも力を入れているところです。

地域全体の防災の取り組みも地域の皆さんと協議して進めており、たとえば「病院の山側の避難用駐車場が満杯になってしまうかもしれない」という事態を事前に想定して、近隣施設にいざというとき駐車場を使わせていただけるように相談する、といった活動も行っています。駐車場については快く「使っていいですよ」と許可いただき、次に何かあったときには地域の避難場所としても活用できる見通しが立ちました。このような地域の皆さんとの絆こそ、あの水害を経て、これからの我々の何よりの宝物になっていると考えています。

支援の恩返しを胸に、地域と世界へのつながりを広げる

当院が水害のダメージから立ち上がるにあたっては、全国の方々から本当に多くの支援をいただきました。クラウドファンディングを通じた支援もその1つで、皆さんの温かい気持ちがとても励みになっています。物資の提供やお見舞い金を送ってくださった方もいて、人のつながりの大切さを改めて実感しました。この場を借りてお礼申し上げます。

そうしたご支援への恩返しの気持ちも込めて、たとえば私たちは昨年ミャンマーで起きた水害に対して、クラウドファンディングを通じた支援を行いました。同じような経験をしたからこそ、現地の方々の苦しみが分かる気がしたのです。こうした思いが国境を越えた医療支援につながるのだと実感しています。

医療を守るための制度と支援体制の構築を

医療機関は地域にとっての「かけ込み寺」のような存在です。災害時にその役割を果たすためには、病院自身が強くある必要があります。防災にしっかりと投資をして、災害への備えを万全にしておくことがとても重要ではないでしょうか。地域の医療の中核を担う全国の病院の皆さんは、地域の方や行政の皆さんと共に、普段から協力し合って防災対策を進めていただきたいと強く思っています。

一方で、行政の皆さんにぜひお願いしたいことがあります。
今回の水害による当院の被害総額は約30億円にのぼりましたが、そのうち保険で補填されたのは約10億円、行政からの補助金も4億円程度にとどまり、残りの約16億円は病院が自費で負担せざるを得ませんでした。さらに、防水壁をはじめとする浸水対策にかかった約4億円に対してはほとんど補助が出なかったのが実情です。

私は「防災は予防医学と同じ」だと考えています。災害が起きてからでは、回復にかかるコストや労力は膨大です。だからこそ、平時からの備えに対して公的支援を行っていただきたい。民間病院が日本の医療の約7割を担っているにもかかわらず、こうした施設への支援があまりに薄いという現状には、非常に大きな危機感を抱いています。

また、災害対応のためには設備投資や人員体制の強化が必要ですが、その一方で診療報酬が上がらない現状も見過ごせません。実際、現在は「病院の約7割が赤字」とも言われており、このままでは持続可能な医療の提供が危ぶまれます。診療報酬の見直しも含めて、防災に投資できるような制度設計や予算の整備をぜひ前向きに検討していただけたらと思います。

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