JCHO熊本総合病院 病院長 島田 信也先生(JCHO熊本総合病院ご提供)
人口減少や少子高齢化に伴い、多くの地方都市では質の高い医療の提供をどのようにして維持していくのかが大きな課題となっている。
その課題に1つの答えを出しつつある例が熊本県の八代市にある。かつて経営難に陥ったJCHO熊本総合病院(熊本県八代市)は、改革によって立て直しに成功し、現在は地域のまちづくりにも積極的に関与している。
日本中の各地域が直面する医療課題を同院がどのように乗り越えつつあるのか、病院長である島田 信也(しまだ しんや)先生に伺った。
当院のある熊本県八代市は、人口が2025年(令和7年)3月現在で約12万人となっています。今や国全体が急激な人口減少と少子高齢化に悩んでいますが、同じように八代市も加速度的に人口が減少しています。
若い世代が少なくなると、街の将来に希望が持てなくなり、街全体の活気が失われていきます。すると、それに続く若い世代は将来の展望を求めて街を出て行ってしまうので、さらに少子化や人口減少が進むという悪循環に陥ってしまうでしょう。
そういった状況のなか、病院の機能を維持し経営を支えていくのは並大抵のことではありません。事実、当院もかつては危機的状況に立たされていました。
しかし当院はそこから経営状態を改善し、地方の中小都市にありながらも2007年(平成19年)以降ずっと黒字経営を続けています。
少子高齢化や人口の急激な減少による病院経営への影響という問題は、日本のどの地域でも起こり得ることです。熊本県内でも、赤字経営によって医療サービスの維持が難しくなっている例は枚挙に暇がありません。日本の地域医療はすでに、大きな転換点に立たされていると言ってよいでしょう。
そのような状況に対して、当院が危機をどう乗り越えたのか、そしてその状態をどう維持しているのか、関係者の皆さまに1つの事例として知っていただければと考えています。
当院の前身は、1948年(昭和23年)に厚生省が開設した健康保険八代総合病院です。当初は100床でのスタートでしたが、1958年(昭和33年)には全国社会保険協会連合会(全社連)に経営委託され公設民営病院となり、その後の段階的な増床により344床となりました。
ところがその後、少子高齢化が問題視され始めた頃から慢性的な赤字経営となり、施設維持管理や設備投資の難しい状況が続くことになります。当院は2006年(平成18年)には内科と外科を除く全ての診療科を閉鎖せざるを得なくなり、病床も344床中100床を休床させる事態となりました。
前病院長の突然のご逝去に伴い、私が病院長に着任したのは、まさにその2006年(平成18年)のことです。その時点で当院は約7億円の累積赤字を抱えていました。また、当院は熊本大学から医師の派遣を受けていましたが、大学による病院評価も低迷し、医師数も当初は42人だったのが、この時点では25人にまで減っていました。
最初に行ったのは、経営の立て直しです。そのために私は主に3つのことを行いました。
まずはじめは、清掃スタッフなども含めた全381名の職員との個人面談です。「時間の無駄だ」「ほかにすべきことがあるのでは」といった声もありましたが、「みんなで一肌脱いで病院を再生しよう」と訴えたところ、多くのスタッフのやる気を引き出すことが出来ました。その機を逃さずに給与アップなどの具体的な改革にも着手し、スタッフのモチベーションが見違えるほど変わったことを覚えています。
次に行ったのは、病院の収益を上げる取り組みです。そのためには受け入れる患者数や手術件数を増やすことが一番です。
そこで、私は八代地域の医師会に所属する全140か所の開業医の先生のもとへ私自ら出向き、患者さんの紹介を増やしてもらえるようお願いしました。その際は「熊本総合病院さんはもうすぐ潰れそうだから紹介出来ない」とまで言われたこともありましたが、「私が患者さんに満足される手術をするので」とお願いして患者さんの紹介を増やしていただくことが出来ました。また、それに合わせて2007年(平成19年)には休床していた100床のうち50床を再開したところ、多くの患者さんに入院していただけるようにもなりました。
最後は医師の増員です。熊本大学病院に通い詰めて当院の将来像を訴えたところ、少しずつ派遣医師を増やしていただくことが出来ました。これらによって患者さんに提供する医療の充実を図ることが出来たのです。
改めて振り返るとこれといった目新しさのない地道な努力だったのですが、効果は覿面でした。着任後2か月で経営は黒字に転じ、2009年(平成21年)には積み上がっていた累積赤字も解消出来ました。それ以降、毎月黒字を継続しています。
病院は黒字化したものの、少子高齢化のなかで重要なのはそれを続けることです。そのための肝となったのが、熊本大学病院に医師の増員を依頼した際に「当院の将来像を訴えた」と申し上げた部分です。
実は、私が病院長となったときに病院再建のコンセプトとして考えたのが「新しい『まちづくり』を牽引する病院」でした。病院、市役所、銀行、郵便局などは、住民の誰もが利用することでしょう。そういった施設を町の中心部に集め、周囲にかかりつけ医や高齢者マンションを配置し、さらにその外側に一般住宅や学校など住宅・教育ゾーン、一番外側に工場・農業など仕事ゾーンが広がるといった「病院を核とした地域のまちづくりモデル」を構築できればと考えたのです。こうすることによって住民はより便利に安心して暮らすことができ、サービスを提供する側も多くの方に利用していただくことが出来ます。
当院は八代市の中心市街地にあったこともあり、周囲を巻き込みながら構想について行政に何度も交渉を重ねてご理解をいただき、新病院の用地取得でもご尽力いただきました。
次は当院の建物です。当時の当院は全体的に古くなっており、雨漏りがしたり、天井にカビが目立つ状況でした。そこで旧病院から道を挟んで斜め向かいの場所に新病院を建設することとし、2013年(平成25年)に竣工しました。
さらに、2023年(令和5年)には、屋根付きのプロムナードを持つ北館が竣工。健診センター、内視鏡センター、透析センター、リハビリテーションセンターを開設し、その際には350名収容の大ホールも併設しました。人が集える場所を街の中心部に設けることがまちづくりには必要だと考えたからです。
また、建物の工法にも工夫を凝らしています。今後は人口構成の変化などにより、病院に求められる機能も変わってくることでしょう。当院はそういった時代の変化に備えて、本館・北館とも改修しにくい鉄筋構造ではなく鉄骨構造とし、石を多用して堅牢な作りとしました。その分建築費もかかりましたが、この工法だと手術室の拡張といった大幅な改修にも対応できつつ、耐久性や見た目のよさも兼ね備えることができます。私は、200年は使える病院になったと自負しており、長い目で見れば大きなコスト削減にもつながるでしょう。
おかげさまで現在、当院には多くの患者さんが来院され、閉鎖していた産科も再開することが出来ました。また、熊本大学とも連携し、妊婦検診からハイリスク出産まで対応可能な体制を整えつつあります。ロボット手術支援システム、脳血管内治療や高難度心臓血管外科治療が可能な機器の導入も行い、地域の皆さんの期待に応えているところです。
つまり、この地域の医療の課題に対して当院が行ったことは、単に病院の経営を改善することだけでなく、病院とともに八代市のまちづくりをし、必要とされる存在になることでした。
実際、2016(平成28年)年4月14日に発生した熊本地震の際にはすぐに病院を避難所として開放し、耐久性の高い構造であることから多くの市民の方が当院を頼って避難されたこともありました。
現在は病院を中心に市役所や公共施設、ショッピングエリアなどが一体化された都市構想がスタートしています。病院と行政、さまざまな企業などが手を取り合うことで、子育て世代や高齢者でも住みやすい都市環境が実現されようとしています。
若い世代は確かに都会暮らしに憧れ、一度は八代から出ていくかもしれません。しかし、都会で暮らすことで逆にこの街の住みやすさを再認識する方もいるでしょう。そういった方が戻れるようにすることが、人口減を食い止め街を活気あるものにし、ひいては病院経営の健全化につながると信じています。
どんな人にとっても、病院は必要な施設です。何かあったときにはいつでも頼れる病院が街の中心にあることが、住みやすいまちづくりには必要なのではないでしょうか。その住みやすさが地域への愛着となり、地方都市の活性化や地域医療の充実につながっていく、そんな事例が全国各地で広がればと期待しています。
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