国立健康危機管理研究機構 國土 典宏理事長(JIHSご提供)
新型コロナウイルス感染症のパンデミックという大きな危機を経て、日本の感染症対策の中核を担ってきた国立感染症研究所(感染研)と国立国際医療研究センター(NCGM)が2025年4月に統合し、新たに「国立健康危機管理研究機構」(JIHS/ジース)が発足した。
感染症の情報を集める機能と、患者を治療する臨床機能が一体となることで、次のパンデミックに備える体制を強化する新組織は何を目指すのか。理事長に就任した國土 典宏(こくど のりひろ)先生に伺った。
なぜ国立感染症研究所(以下、感染研)と国立国際医療研究センター(以下、NCGM)が統合され、「国立健康危機管理研究機構」(以下、JIHS)が創設されたのか、とよく聞かれます。実は統合の話は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックが始まってすぐ、2020年の6月頃にはもう持ち上がっていました。旧NCGMの理事長だった私と旧感染研の脇田 隆字所長(現JIHS副理事長)が自由民主党の会議に呼ばれ、第1波をどう経験したのかをそれぞれ話したのを覚えています。当時からアメリカのCDC(疾病対策センター)が引き合いに出され、日本にも感染症対応の科学的な司令塔が必要ではないか、という声が強くなっていました。
CDCはアメリカの国民を感染症などの健康被害から守るための機関です。一方、日本の感染研は日本中、世界中から感染症の情報が集まるいわば日本の感染症対策の窓口でした。またそのすぐ隣にあったNCGMは臨床の現場を持つナショナルセンター(国立高度専門医療研究センター)でした。
これまでも両者は協力してきましたが、感染研は国の機関、NCGMは独立行政法人という立場の違いもあり、NCGM側からは国の行政データには直接アクセスできない状況がありました。それが統合によって可能になり、世界中の最新のデータを使って研究が可能になる。統合には非常に大きなメリットがありました。
この連携の重要性は、まだ統合する前、オミクロン株が登場した時点でも証明されていました。WHOは新しい感染症が出た際、最初の数百例を急いで分析する「ファースト・フュー・ハンドレッド・スタディ」を提唱しています。オミクロンのときに、まさにこれを感染研とNCGMが協力して行ったのです。それまでの感染研は、全国の保健所とのつながりはあっても、病院との直接のつながりはありませんでした。しかし病院であるNCGMが間に入ることで患者さんの詳しい臨床情報が集まり、オミクロン株に感染した方はどのくらい入院が必要か、といった具体的な数値を素早く出すことができたのです。別の組織だった時点でもこれだけのことができたのですから、同じ組織になれば、もっと迅速に動けるでしょう。これが2つの組織の統合の最大の目的です。
統合後の私たちが今重視しているのは、次のパンデミックに備えるための「人づくり」です。
人づくりの例として、感染研が長年続けてきた「FETP」というプログラムがあります。これは腸管出血性大腸菌O-157の流行をきっかけに始まったもので、医師だけでなく獣医師や薬剤師など多様な職種の方が、現場で感染症の原因等を突き止める「疫学の専門家」になるためのトレーニングを行うプログラムです。今年度は13人の定員に20人以上もの応募がありました。
また、感染研とNCGM、厚生労働省が以前から行っている「IDES(アイデス)」というプログラムがあります。これは感染症危機に対応できる医師を育成するもので、特に国際的に活躍できる人材の育成に焦点を当てています。この修了生たちはダイヤモンド・プリンセス号に乗り込んだり、中国・武漢からの帰国者を乗せたチャーター便に同乗したり、羽田空港の検疫所で待機して対応にあたったりと、今回のコロナ禍でも大活躍しました。
新型コロナウイルス感染症の最初の治療薬となった「レムデシビル」の国際共同治験に日本(NCGM)が参加できたのも、アイデスの修了生がきっかけでした。彼らがアメリカのCDCやNIH(アメリカ国立衛生研究所)で築いた人脈を通じて、「こういう治験があるけど日本でやらないか」と声がかかったのです。
この他にも、NCGM国際感染症センターでは多くの感染症を専門とする医師を育成しました。また、2024年度から厚生労働省の委託事業として「感染症危機管理リーダーシップ研修(IDCL)」も始まっています。
私たちJIHSは、これらのプログラムを通じてこれからも有事に対応できる人材を育てていく予定です。
感染症に対する治療薬の研究、開発も私たちの役割の1つで、実際に感染研とNCGMは統合前から新型コロナウイルス感染症の治療薬開発に携わっており、先ほど述べたレムデシビルの治験は2020年の2月から3月という、ダイヤモンド・プリンセス号がまだ横浜港に停泊していた頃に始まるというスピート感でした。
しかし、治療薬の開発は本当に難しいと感じています。たとえば、がんの治療薬の臨床試験の場合、がんの患者さんは常に一定数いらっしゃいます。ところが、感染症は波のように患者さんが増えたり減ったりします。新型コロナウイルス感染症のある変異株に対する薬の治験では、感染の波が落ち着いてしまい、患者さんが1例しか登録できず研究が進まなかったこともありました。
感染症パンデミックの緊急事態であっても、平時とは異なる科学的・倫理的基準で臨床試験を実施してはならないと言われています。何よりも科学的・倫理的に妥当で実現可能なデザイン(ランダム化比較試験:RCT)を組み、試験外での治療薬候補の利用をコントロールすることが必要であることを再認識することが重要です。
JIHSの役割は、人づくりや具体的な感染症対策だけではありません。DMAT、つまり災害派遣医療チームの事務局も私たちの組織に加わりました。まさに「オールハザード」と言いますか、あらゆる健康危機に対応するのがJIHSなのです。
実は、新組織が発足した今年(2025年)の4月1日のまさにその日にDMATへ要請があり、翌日にはミャンマーで起きた地震への国際援助隊としてJIHS職員2名が派遣されました。平時と有事はつながっており、私たちはいつでも対応する準備ができています。
感染症であれ災害であれ、状況には波がありますが、「平時」のときにこそ、肝炎やHIVなどの感染症や薬剤耐性(AMR)に向き合い、パンデミックや災害発生に向けた対策や訓練を行って有事に備える。この点が非常に重要だと思っています。
有事は起きてほしくないですが、いつ来るかは誰にも分かりません。そのことを私たちはコロナ禍で痛いほど経験しました。だからこそ、その記憶を風化させないことが何よりも大切だと考えています。個人的には、いつか予算がついたら「感染症ミュージアム」のようなものを作りたいと考えています。あのとき、医療現場で何が起こっていたのか、社会がどう向き合ったのかを記録し、伝えていく。そうした仕掛けが必要ではないでしょうか。
この5年間は、本当に大変なことばかりでした。しかしこの経験を無駄にせず、次の世代のために、そして未来の日本を守るために、JIHSは平時からの備えを続けていきます。
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