連載地域医療の現在と未来

脳卒中から命と生活を守るために 道南地域医療の課題と函館脳神経外科病院の挑戦

公開日

2025年12月16日

更新日

2025年12月16日

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2025年12月16日

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函館脳神経外科病院 院長 妹尾誠先生

脳卒中治療が1分1秒を争うことは広く知られているが、北海道の道南地域では、その戦いを阻む特有の「壁」が存在する。塩分の濃い食文化に起因する健康問題、広大な土地がゆえの救急搬送の遅れ、そして未来の医療を担う人材の不足。これらは、患者の命と暮らしに直結する深刻な課題である。

北海道の渡島半島の南端にあり、函館市を中心とする道南地域で脳卒中患者に対応している函館脳神経外科病院の院長である妹尾 誠(せのお まこと)先生に、道南の脳神経外科医療が直面する課題と、その解決に向けた取り組みを伺った。

道南地域が直面する、脳卒中医療の「3つの壁」

北海道の渡島半島は豊かな自然と食文化に恵まれた地域ですが、こと脳卒中の医療に関しては、この土地ならではの深刻な課題を抱えています。

渡島半島には南から南渡島医療圏、南檜山医療圏、北渡島檜山医療圏の3つの医療圏があり、面積は大阪府と京都府を合わせたほどと広大です。第一次産業に従事されている方が多く、また人口の多くが集中する函館市でも高齢化が進行しています。高齢単身世帯も増え、若い方がそばにいないことで、いざ脳卒中で倒れたときの対応が難しくなることも少なくありません。

こうした背景も相まって、この地域の脳卒中医療には住民の方々の健康意識、地理的・構造的な問題、そして医療の担い手不足という、大きく分けて「3つの壁」が立ちはだかっているといえるでしょう。

文化に潜む健康リスクと「予防」への挑戦

私は、元々は中国地方の出身で、札幌医科大学を出て若い頃に函館に来たのですが、まず驚いたのが食事の味付けでした。外食の親子丼やラーメンを一口食べて、頭が痛くなるほどしょっぱいと感じたのです。そもそも地域の皆さんの味覚が濃い味付けに慣れているからなのでしょう、外食産業もそのニーズに応えた結果、塩分が濃い味付けになっているのだと思います。

この道南の沿岸部特有の食文化は、住民の方々の血管に大きな影響を与えています。塩分の多い食事は高血圧を招き、動脈硬化を進行させます。その結果、たとえば50歳くらいで倒れて来られた方の血管年齢を調べてみると、実年齢より30歳も上の80歳相当になっている、ということも珍しくありません。札幌の病院から函館へ来た当初は、患者さんの血管の動脈硬化がひどくて、カテーテルが血管をスムーズに通らず、血管造影がうまくできなかった経験があります。「函館で血管造影ができればどこでもできる」と言われるほど、体の状態が違うのです。

患者さんのご家族から「親が脳卒中になったのですが、遺伝するのでしょうか」と心配して尋ねられることがよくあります。しかし、脳卒中は遺伝ではなく、家庭内で受け継がれる「食生活の連鎖」が大きな原因です。しょっぱいおにぎりを食べて育ったお子さんは、それが当たり前の味覚になり、気付けば30年間、塩分が多い食習慣の生活を送っているわけです。ですから私たちは、診察の場でご本人やご家族に、生活習慣を見直すことがいかに大切かをお伝えしています。

ゴールデンタイムを阻む「広さ」と「習慣」

脳卒中の治療、特に脳梗塞では、発症から3時間以内が勝負の時間、いわゆるゴールデンタイムになります。しかし、この道南地域には、その貴重な時間を奪ってしまう地理的、文化的な壁があります。

まず、この医療圏は広大で、一番遠い地域からだと、救急車で2時間半もかかってしまうことがあります。夏でその時間ですから、雪が降る冬はもっと時間がかかります。これでは、病院に着いた時点で治療のゴールデンタイムを過ぎてしまう可能性が高いのです。

そしてもう1つ、症状が出ても「そのうち治るだろう」と様子を見てしまう習慣もこの地域で顕著です。特にご高齢の世帯だと、お父さんが「放っておいてくれ」と言うと、ご家族も強く言えず、朝まで様子を見てしまう。その結果、手遅れになってしまうケースが後を絶ちません。

さらに、救急搬送のシステムにも課題があります。たとえば、地域の救急隊は行政区域を越えて搬送しない慣例があり、脳卒中が疑われるのに、まず地元の自治体病院に運ばれてしまうことがあります。そこでCTを撮ってから転院先を探すと、それだけで1時間以上のロスが生まれてしまいます。

これらの「時間の壁」を乗り越えるため、私たちは「道南ストロークバイパス」という構想を進めています。これは、現場の判断で救急隊から直接私たちの施設に連絡をいただければ、地域の病院を経由せず、すぐに受け入れるという仕組みです。ドクターヘリを使えば2時間半の距離が20分に短縮されますから、現場の判断が命を救うのです。現在は函館市のもう1つのコアセンターである函館新都市病院と協力して24時間体制を整え、各自治体にも働きかけているところです。

そして、様子を見てしまう習慣については、地域の方には「怪しいときにはすぐ電話するなり救急車呼ぶなりしてほしい」と口を酸っぱくして伝えています。たとえ実際は勘違いだったとしても、健康であるなら問題はないのですから、おかしいなとおもったらとにかく自己判断せず、専門家の意見を聞いていただくことが重要です。

未来の地域医療を支える「人」の確保

最後の壁は、医療を支える「人」の問題です。この地域では、医師も医療スタッフも高齢化が進んでおり、人手不足が深刻化しています。特に若い世代は医療分野に限らず、仕事を求めて札幌や本州へ出て行ってしまう傾向が強まっています。また、若手医師本人にはこちらへ来る意思があっても、生活の不便さを案じてご家族が反対されるケースもありました。

これに対しては、外部の先生方に応援に来ていただき、当直を担ってもらうなどの工夫を続けています。また当院は札幌にある中村記念病院と長年のつながりがあり、そこから多くの医師に来てもらっています。私自身もその1人で、函館脳神経外科病院では比較的、個々の医師の裁量でやりたい医療を追求できる雰囲気があり、自分の専門性をより発揮できる環境があると感じたからこそここへ来ました。

このように、若手医師にとって魅力ある環境を整えることが、人材を確保するうえで重要だと考えています。

道南のこれからの脳卒中医療のために

道南地域の脳卒中医療は、これまで述べたように根深く複合的な課題があります。そのなかで私たちは、患者さんへの地道な啓蒙活動から、地域全体を巻き込んだ救急搬送システムの改革、そして未来の担い手を育てる環境づくりまで、多角的なアプローチで課題解決に取り組んでいます。

私たちが進める取り組みは、この地域の皆さんが安心して暮らし続けられる未来への、1つのきっかけに過ぎません。この記事を通じて、地域医療について少しでも考えていただく機会になれば、これほど嬉しいことはありません。
 

 

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