左から、富士通Japan ヘルスケア事業本部長 桑原 裕哉氏、大阪病院 西田 俊朗院長先生、日本マイクロソフト ヘルスケア統括本部 統括本部長 清水 教弘氏、フォーティエンスコンサルティング ソーシャルバリュークリエイション本部⾧ 重信 卓哉氏(JCHO大阪病院ご提供)
2024年から始まった医師の働き方改革は、医師の残業時間を厳格に規制した。
しかし、実際の医療現場に目を向けてみると、業務を圧迫しているのは診察そのものではなく、膨大な事務作業であるという実態が浮かび上がってくる。
これは医師に限った話ではなく、看護師や事務職員など、病院を支える全ての職種に共通する深刻な課題だ。この状況を打開するために、医療現場へ本格的に生成AIを導入する画期的な取り組みが始まっている。
大阪市福島区にあるJCHO大阪病院は、日本マイクロソフト、富士通Japan、フォーティエンスコンサルティングと手を組み、生成AIを電子カルテへ直接実装する共同プロジェクトを始動させた。
AIの活用によって医師の事務負担をどこまで軽減できるのか。そして、その先にどのような医療の未来を見据えているのか。同院の院長であり、プロジェクトの先陣を切る西田 俊朗(にしだ としろう)先生に、AIが果たす役割と、医療業界にもたらす変革の可能性について話を伺った。
診察を受ける際、医師がずっとキーボードを叩いていて、患者さんは相手にされていないような感覚になる。誰もがそんな場面を経験したことがあるのではないでしょうか。
実は私たち医師も、本当はもっと皆さんの顔を見て、言葉にならない不安に耳を傾けたいと願っています。しかし、現在の医療のあり方では、どうしても医師がパソコンに向かわざるを得ません。診療や治療の根拠になる診療録(カルテ)の記載といった「書く仕事」が求められ、診察と同じくらい、あるいはそれ以上に大きな比重を占めてしまっているのが実情なのです。
こうした負担は医師だけにとどまりません。看護師も日々の膨大な記録業務に追われ、事務職員も複雑な事務処理に忙殺されています。病院全体がこうした「作業」に追われる現状を何とかして、本来あるべき「人を診る医療」に戻したい。その強い思いから、私たちはAIの導入を決めました。
今回、世界的なプラットフォームを持つマイクロソフトや、電子カルテの基盤を担う富士通、運用の仕組みを整えるコンサルティング会社とタッグを組んだのは、公的病院である私たちが「ファーストペンギン」として先陣を切ることで、一般の病院でもAIを活用できるモデルやスキームを示したいと考えたからです。
とはいえ、急にAIを導入すると言っても現場は混乱してしまいます。そこで、まずはAIを使いこなせる人材を各現場で育て、その人たちが組織全体のAIのリテラシーを高めていくようにしました。先行してAIを使ってもらった人は「DXアンバサダー」になってもらい、その人が旗を振ってみんなを先導することで、現場から「これがあったら便利だ」という成功体験を生み出してほしいと考えました。
幾つか院内で小さなプロジェクトをやってみましたが、例えば、AIを用い議事録作成アプリを構築し、検証すると思った以上の結果が出ています。
こうした事務作業での『小さな成功』が職員のモチベーションを上げ、医師や看護師が本来の役割に専念できる環境づくり、そして診察の質を向上させる土台となっていくはずです。
このように、AIはこれまで時間がかかっていた業務を大幅に効率化させることができることが分かりました。そこで当院では次に、今年(2026年)の6月から電子カルテの中にAIを組み込んでいくことにしています。
ただ、電子カルテ作成に関わる業務は多岐にわたります。そのなかで、まずは医師が作成する「退院時サマリー」の作成と、看護師同士で行っている業務の「申し送り」について、AIで効率化を図る予定です。
退院時サマリーを医師が作成する際は、入院から退院までの検査結果、投薬内容、手術の経過といった散らばった情報を一つひとつ拾い集め、一貫性のある文章にまとめる必要がありました。この情報収集と要約作業だけで、1件あたり数十分、時には1時間以上の時間を要することもありました。
また、看護師間の「申し送り」においても、日勤から夜勤へ交代する際、短時間で正確に状況を伝えるための準備に追われ、それが残業の大きな要因となっています。実際、夕方になると多くの看護師が記録のためにコンピューターを取り合っているような状態です。
これらをAIが行うことで、少しでも医師や看護師が患者さんと向き合う時間を取り戻せるはずです。
もう1つ、すぐにでもAIの力で解決したいと考えていることがあります。それは、患者さんが診察室にたどり着くまでの間に感じる「精神的な疲れ」をなくすことです。
患者さんは多くの場合、受け付けで症状を聞かれ、看護師にも聞かれ、医師にも同じことを聞かれます。「1度説明したことは病院内で共有しておいてほしい」。これが患者さんの切実な思いではないでしょうか。
病院の立場で見れば、救急外来、検査室、病棟、そして主治医の診察と、それぞれの場面で安全を期するために確認を重ねているのですが、結果として患者さんを疲れさせてしまっているのが現状です。
こうした情報の「バトンタッチ」の不備も、AIの力で解決できるはずです。たとえば、患者さんが受付や最初の問診で話した内容をAIが要約し、その後に接する看護師や医師など、診察にあたるスタッフが即座に共有できるようになれば、患者さんが何度も同じ説明を繰り返す負担は大きく減らせます。
「自分の状況をスタッフ全員が分かってくれている」という安心感を持っていただければ、その後の治療もよりスムーズに進むでしょう。
私たちの挑戦は、目の前の課題を解決して終わりではありません。
たとえば、タブレットやスマホを活用したAI問診やWeb予約、LINEを通じた積極的な情報発信なども探索的に実地運用しています。これによって病院側からのお知らせを一方的に届けるだけなく、患者さんがより便利に、より身近に医療を感じられるようになり、地域全体で安心を共有できる体制を築けるのではないかと思っています。
私たちは、近い将来、AIを用いて音声、画像、テキストなど多様な情報を統合的に扱う、つまり『マルチモーダル化』した電子カルテを実現し、次のステップでは、医師の傍らで自律的に診療をサポートするエージェント型AIを電子カルテに搭載し、使用したいと思っています。
その実現に不可欠な大前提として、当院では現在、以下の要件を満たした安全なシステム基盤の構築を進めています。
・『閉域ネットワーク』を利用し外部侵入を許さないセキュリティの高いクラウド環境
・診療データをAIの学習に利用させず、クラウド上にも保存しない仕組み
・政府が求める認証制度『ISMAP』の認証を取得したシステムの活用、そして
・厚生労働省、経済産業省、総務省が策定した『3省2ガイドライン』への厳格な準拠、です。
ここでよく聞かれるのが「AIは医師よりも正しい診断ができるのか」という疑問です。私はAIを医師に取って代わる存在ではなく、最強の「副操縦士」だと考えています。
医師も人間ですから、どれほど研鑽を積んでも、膨大な医学文献の全てを網羅し、一分の隙もなく正確に思い出すことには限界があります。しかしAIは、過去の膨大なデータや最新の論文を全て記憶し、瞬時に引き出すことができます。
AIが「この可能性はありませんか?」と提示し、それを医師が専門知識に基づいて最終判断する。この「人間とAIのダブルチェックと協働」こそが、見落としを防ぎ、診断の精度を強力に高める効果的な方法なのです。
このようなAI診断支援の仕組みを、国のガイドラインに厳格に準拠した「安全なAI活用のルール」とセットで作ることができたら、多くの病院で活用できるようになるでしょう。
公的病院である私たちが培ったノウハウを広く他院へも共有し、日本中の医療機関が安心してDXに踏み出せる「標準モデル」になること。それこそが、私たちが先陣を切って走る最大の理由です。
私は、AIは決して冷たい機械ではないと考えています。
むしろ上手に活用することで、医師と患者さんの間の情報の格差を埋め、信頼関係を深めてくれる架け橋になると確信しています。
「テクノロジーを使って、ヒューマニティ(人間性)を高める」。
一見矛盾するように聞こえるかもしれませんが、これこそが今の医療にもっとも必要な進化ではないでしょうか。
事務作業をAIに任せ、空いた時間で患者さんの目を見て、その声に耳を傾ける。私たちが道を切り拓くことで、日本中の病院が温かい医療を取り戻せる。そんな未来を、この大阪から形にしていきたいと思っています。
取材依頼は、お問い合わせフォームからお願いします。