SAITO MEDICAL GROUP 代表 齋藤浩記先生
物価高や人材不足、働き方改革、そして人口減少。現在、全国で病院経営が厳しさを増している。
そんななか、経営危機の病院再建に自ら取り組み、地域医療を守り続けている医師がいる。SAITO MEDICAL GROUPの代表を務める齋藤 浩記(さいとう こうき)先生だ。
齋藤先生は、東北海道の温泉地でもある川湯温泉の病院再建を足がかりに、全国各地の医療機関の再生や事業承継に携わってきた。なぜ、周囲が二の足を踏むような地方の病院の再建に打ち込むのだろうか。
厳しい時代において地域の医療インフラを守り抜くために必要な視点とは何なのか、単なる病院経営の枠を超えた独自の哲学と、地域医療の未来を残すための実践の歩みについて齋藤先生に話を伺った。
私は現在、全国に展開する医療法人ネットワークであるSAITO MEDICAL GROUPの代表を務めています。
グループでは病院や介護施設、福祉事業などを運営しており、いくつかの病院を預かっています。その多くは都市部ではなく、地域医療を支える地方の医療機関です。そのため、北海道から東京、新潟、長崎、鹿児島まで、全国の拠点を巡回する日々を送っています。1日のうちに飛行機や新幹線で複数の地域を移動することも珍しくありません。そんな私たちの歩みの原点となっているのが、東北海道の弟子屈町にある川湯温泉で経験した病院再建です。
もともと埼玉県でクリニックを開業していた私は、外来診療だけでなく入院も含めた幅広い医療を展開したいと考え、病院事業承継に関するアンテナを高く掲げていました。
そんな折に、大手弁護士事務所から、誰も引き受け手がなくて困り果てている病院があるという相談を受けました。その病院は大手デベロッパーが仲介に入り総力を挙げても引き受ける医師が見つからない、とのこと。
「誰もやってくれないんです、助けてほしい」と言われた瞬間、「分かりました、行きます」と、当時の私はそんな返事を即座にしていました。私は昔から、社会全体の安寧をどう守るかを考えてきました。だから「誰もやってくれない」「助けてほしい」と言われると放っておけないのです。
詳しく話を聞くと、そこは裁判を抱えた医療法人で、たしかに経営が難しい状態でした。しかし、地域にとってはなくてはならない病院にほかなりません。また、私の「浩記(こうき)」という名前は川湯温泉が出身地である名横綱、大鵬幸喜関から音をいただいたもので、その病院が偶然にも大鵬関のご実家の隣にあったことも、不思議な縁を感じました。
さっそく現地に向かったものの、そこは想像以上に厳しい状況が待っていました。冬は厳しい寒さで地面が凍りついて基礎工事すらできず、強い硫黄成分のせいで建物のコンクリートまで傷みやすいなど、医療機関を運営するには非常に困難な環境だったのです。
さらに、組織としての方向性が定まらず、職員の皆さんも戸惑いを抱えており、働く人もまったく足りない状況です。
そこで私はまず、家族を連れて現地へ移住し、地元の小学校でPTA会長を務めるなど、1人の住民として地域に深く溶け込んでいきました。また、人手が足りない分は自分自身で動くしかありません。結果、理事長と院長の役割だけでなく、看護部長、事務部長、さらには薬局長として調剤室に入って薬を出すなど、1人で5つの役割を兼務しながら現場を回し続けました。
このような地道な組織改革と裁判の解決を同時に進めた結果、それまで医療を求めて札幌へ向かっていた地元の患者さんの流れがガラリと変わり、私たちが再建した病院へ安心して足を運んでくださるようになりました。
振り返ってみると、川湯温泉での出発点があったからこそ、地方医療の課題を机上の理論ではなく現場の実感で捉え、全国各地の医療機関の再生や事業承継に取り組めているのだと思います。
一般的には、大都市で経営基盤を築いてから地方へ展開していく医療グループが少なくありません。一方で私たちは、東北海道の川湯温泉という、日本でも特に厳しい環境の地域から歩みを始めました。東北海道から南へ、西へと全国展開する医療グループは珍しいのではないでしょうか。
川湯温泉での病院再建をきっかけに、さまざまな法律事務所や仲介会社から、再生案件や承継の相談が次々と届くようになりました。
私はそれらをいくつも引き受けてきましたが、中でも印象に残っているのがやはり北海道の北見にある病院です。
そこは再建を始めた当初、経営的には厳しい状況にありました。病院の現金収支は年間で数億円のマイナスとなっており、預金がショートする一歩手前の状態でした。
さらに深刻だったのは、医療提供のあり方です。その病院は脳卒中などの特定の血管障害しか診ないという方針だったため、風邪や腹痛といった症状で困っている一般的な患者さんを受け入れておらず、地域のニーズとの間にギャップがあったのです。病床はベッドの空きが目立つような状況で、稼働率が悪く、6割程度まで落ち込んでいました。本来ならもっと多くの患者さんを受け入れられるはずです。
私は経営の全容を職員に見せ、医療従事者としての価値観の改革を始めました。人員がいるのにお困りの方を受け入れていないのは改善の余地があるという意見を繰り返し伝え続け、風邪もお腹が痛い人も診るという方針へと大きく舵を切ったのです。その過程で約100人の退職者が出て、その対応で調達資金が消えるなど、文字どおり背水の陣でしたが、決して諦めませんでした。その結果、現在では地域に欠かせない救急の拠点へと生まれ変わり、現在では満床に近い状態を維持できるようになっています。
もう1つ、高知県での例をお話しします。
四万十市にあるその病院では、医師が集まらないために閉院寸前という窮地に陥っていました。しかし私には、将来起こり得る巨大地震などの有事の際、この病院が地域を救う重要な防衛拠点になるはずだという確信がありました。また、過疎化が進むなか、病院こそが地域の中心的存在になり得るとも思ったのです。
そこで私は現地へ飛び、地域の医師の方々にこの病院の価値とビジョンを語りました。すると、私の話に共鳴した医師が集まってくれ、病院での常勤医の確保だけでなく、在宅医療の提供までできるようになりました。さらに、この病院では医療を提供するだけでなく、訪れる人が減っていた地元の魚市場と連携し、子ども向けの模擬セリイベントなどを毎月開催しています。こうした取り組みは観光商品化され、観光バスが訪れるなど、町おこしにもつながっています。
病院の再生とは、単に建物の修繕や財務の数字を整えることではありません。地域に必要とされる医療機能を維持し、住民の生活そのものを支えるインフラとして機能させることが重要だと私は考えています。
現在、物価の高騰や深刻な人材不足などにより、過半数の医療機関で経営が難しくなっているとされています。ここで直面するのが、国が定めた公定価格である診療報酬制度の限界です。
現在の制度では、医療の価格を国が全て一律に決めています。そのため、世の中の物価や消費税がどれほど上がっても、私たちの判断で診察代を値上げすることは一切許されていません。
たとえば、特別な検査や処方箋がない通常の再診察にかかる費用は、わずか750円です。これは一般的なファーストフード店のセットメニュー1つ分とほぼ変わらない金額に過ぎません。このわずかな金額の中に、医師の診察だけでなく、看護師のケアや受付スタッフの対応、さらには病院の光熱費なども全て含まれているのです。物価高が進む今の時代、国が決めたこの一律の価格にとどまったままで医療の質を保ち、病院の運営を維持していくことがどれほどシビアなことか、想像していただけるのではないでしょうか。
国の制度だけに依存したままでは、これからの激動の時代を生き残ることはできないでしょう。私は以前から、外的な要因に左右されない「自給自足」こそが時代を超えて価値を持つ考え方だと思っていました。
何か起きるたびに外部の環境や制度に頼らなければ成り立たない組織は脆弱(ぜいじゃく)であり、いずれ地域を守れなくなってしまいます。だからこそ私たちのグループでは、外部に依存しない持続可能な経営基盤を作ることに全力を注いでいます。
その具体的な挑戦が、学校運営を通じた人材育成の仕組みです。当グループでは、新潟にある医療系の専門学校や、海外からの有為な人材を迎え入れるための日本語学校を自前で運営予定です。地方の医療現場において、ただ待っているだけではスタッフが集まらないのは目に見えています。それならば、お預かりした大切な命と人生に向き合える人材を、自分たちの手で最初から育てるベースを作ればよいと考えたのです。これにはもう1つよい側面があり、教育の段階からグループの理念を共有することで、現場に出たときにも強い絆を持って地域に貢献してくれる仲間が育ちます。
また、当グループは、東京や埼玉、神奈川、千葉、静岡といった都市部や本州の拠点と地方を結ぶ広範なネットワークを作り、その強みを生かしています。都市部で生み出した経営的な体力やノウハウを地方の再生へ循環させ、グループ全体で人流や資源を相互に補完し合うネットワーク戦略を進めているのです。その例として、当グループでは病院の建て替えや修繕をグループ内で行えるよう、建設や設備の体制にまで内製化を広げています。こうして外部の状況に左右されない強固な自給自足の基盤を作ることで、厳しい状況でも経営的に動じない組織となっています。今後は電子カルテも内製化し、グループ全体で使いやすくするつもりです。
また、自給自足という考え方は、有事への備えにもつながっています。災害や社会情勢の変化など非常時においても、医療従事者や患者さんといった弱い立場の人々を守れる体制が必要だと考えています。そこで現在、警察や自衛隊の特殊部隊OBとも連携し、有事に医療従事者や患者さんの安全を守るための危機管理体制づくりも進めています。実際に昨日も、その体制づくりに向けて神戸を訪れ、同じ思いを持つ人材と面会してきました。
私は、グループの職員全員に、「1か月を1年だと思って濃く生きよう」と伝えています。それだけの密度で動けば、10年で120年分の変化を起こすことができ、どんな未来も実現できると信じているからです。このような生き方も、今の医療の世界では重要ではないかと思っています。
地域医療は、当たり前に存在しているわけではありません。誰かがリスクを背負って支え続けなければ、簡単になくなってしまうのです。私はたまたま縁があってその役割を引き受けているに過ぎませんが、これからも地域に必要な医療を残すためにどのような課題にも向き合い、挑戦を続けたいと考えています。
これからさらに人口減少や高齢化が進むと、地方における医療人材の不足は深刻化していくでしょう。一方で、私は人口が少なくなればなるほど、豊かな自然やデジタル化による地方移住の可能性を含め、地域医療の役割は面白くなっていくと考えています。
安心して暮らせる医療や介護のインフラがあり、食や水、エネルギーが十分にあれば、人は必ずその土地に住みたくなるはずです。高知県四万十市の病院のように、私は病院経営を、単なる法人の運営ではなく、社会全体の土台をしっかりと作る「社会基盤づくり」の営みであると捉えて動いてきました。地域医療を残すことは、地域そのものを残すことにほかなりません。その思いで、これからも日本の医療の課題解決を続けていきたいと思っています。
取材依頼は、お問い合わせフォームからお願いします。