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肝臓がんの手術関連死亡率を約10%から約1%に。幕内基準と治療法の考案
複雑な構造と役割を持つ沈黙の臓器、肝臓。たとえ他の臓器が健康な状態でも、私たち人間は肝機能を失うと生き続けることができません。1970年代、肝臓を専門とする医師がほとんど存在しなかった日本に、一...
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肝臓がんの手術関連死亡率を約10%から約1%に。幕内基準と治療法の考案

公開日 2017 年 01 月 01 日 | 更新日 2017 年 12 月 04 日

肝臓がんの手術関連死亡率を約10%から約1%に。幕内基準と治療法の考案
幕内 雅敏 先生

東和病院院長/日本赤十字社医療センター名誉院長/東京大学名誉教授

幕内 雅敏 先生

複雑な構造と役割を持つ沈黙の臓器、肝臓。たとえ他の臓器が健康な状態でも、私たち人間は肝機能を失うと生き続けることができません。1970年代、肝臓を専門とする医師がほとんど存在しなかった日本に、一人の外科医が現れます。現・日本赤十字社医療センター長、幕内雅敏先生。肝臓外科のパイオニアとして、その名はいまや世界中に知られています。

肝臓の手術を行うための基準と数多の術式を考案し、後進が歩むための「道」を切り開いてきた幕内先生に、肝臓がんの生存率を上げるべく尽力されてきたことについてお伺いしました。

この記事で書かれていること

  • かつて肝臓がんの治療成績が悪かった理由は、手術手技の未確立、早期発見の診断技術がなかったこと
  • 「幕内基準」の登場以降、肝臓がん手術関連死亡の頻度は10%前後から1%前後にまで低下
  • 幕内先生の考える「肝臓外科医に必要なもの」

肝臓がんの手術関連死亡率を低下させるために

1970年代、なぜ肝臓がんの治療成績は悪かったのか?

私が外科医として国立がんセンター病院で働き始めたのは1979年のことです。当時、肝臓外科の専門医は極めて少なく、1970年代の肝臓がん外科手術による死亡率(手術関連死亡率)は10%強という高い数値を示していました。

高い死亡率の原因は、大きくふたつ挙げられます。ひとつは手術手技が確立していなかったこと、もうひとつは早期発見のための診断技術がなく、多くの場合、発見時には既に肝肥大や肝内転移が起こっており、治療の術がなかったということです。

診断が遅れると、手術をしても肝臓のあちこちにがん細胞が残ってしまい、再発により予後は極めて悪くなります。私が医師になった頃には、肝臓の手術を受けた患者さんの約半数が、術後半年ほどで亡くなっていました。

肝臓の切除手術の目安、「幕内基準」の考案

また、当時は肝臓をどの程度切除してよいのか、安全な切除量を評価する基準も存在しませんでした。限度を超えて肝臓を切除すると、肝機能は元に戻らなくなることが多く、肝不全という致命的な状態に陥ってしまいます。しかし、肝機能は元々個々人によって異なるため、切除できる許容量も患者さんごとに違っており、この見極めが70年代の肝臓外科の大きな課題となっていました。

そこでまずは、ICGテスト(肝機能検査のひとつ)を行い、導き出された肝機能の程度に応じた切除量の目安をまとめました。この基準は「幕内基準」と呼ばれ、現在も世界中で用いられています。

幕内基準

1980年中頃に考案した本基準(幕内基準)は、その後日本国内に急速に広がり、1990年代に入る頃には、肝臓がん手術関連死亡の頻度は1%前後にまで低下しました。

門脈枝塞栓術の考案-肝臓がん手術の進歩に貢献

基準の考案とともに、肝臓をさらに安全に切除する手術法の開発も行う必要がありました。

術前に門脈枝を塞いで切除予定の領域を萎縮させ、残す部分の肝臓を再生肥大させる「門脈枝塞栓術(もんみゃくしそくせんじゅつ)」も、この頃に考案したものです。1990年代には、西洋諸国の医師たちも門脈枝塞栓術を盛んに学ぶようになり、結果として現在この術式について記した論文は、私の論文の中でも最も多く引用されるものとなっています。

診断技術の向上により早期発見が可能に

肝臓がんの手術関連死亡率が低下した理由には、検査技術が向上し、早期発見ができるようになったことも挙げられます。1980年代には、腫瘍マーカー検査と腹部超音波検査(エコー検査)によるスクリーニングで、早い段階でがんの有無を診断できるようになりました。

さらに、1980年代にはCTやMRIが登場し、1990年代には画像診断の精度が格段に上がりました。

それから10年の時が経過し2000年代を迎えましたが、手術関連死亡の頻度は1%前後と、ほとんど変化していません。つまり、大まかな手術手技や検査、診断技術は1980年代に、ほぼ現在と同じところまで急速に進歩したのだといえます。

肝臓がんの生存率を上げるために

出血しやすい臓器をどう扱うか?

肝臓は、あらゆる臓器の中でも最も血流が豊富な臓器のひとつです。従って、肝臓を大量出血なしに離断していかなければなりません。そのために考案したのが、間歇的血行遮断術です。これは、肝門で流入血を15分間遮断し、5分間血流を再開する方法です。この方法は、何回繰り返しても肝臓は疎血によく耐え、肝障害を起こしません。本法によって、肝切除は出血量が激減し、術者は安心して肝臓をゆっくりと正確に離断できるようになりました。つまり、この方法によって、系統的亜区域切除術や185個といった多数の肝腫瘍の切除が可能となったのです。

根治性の向上を目指して

肝臓に生じた小さながん細胞は、増殖して大きくなっていく過程で周囲の門脈や血管の中に入り、血流にのって抹消にまでとんでいきます。これが、肝内転移や娘結節(じょうけっせつ)が生じるメカニズムです。ですから、生存率を上げるためには、門脈の構築に立脚して手術を行い、その領域をしっかり取り去ることが重要になります。

消化器内科で行われるRFA(経皮的ラジオ波焼灼療法)は、電極針を腫瘍に挿入し、ラジオ波を流して腫瘍を焼くという治療法ですが、この方法では肝内転移にアプローチすることはできません。そのため、死亡率も手術と比べると5年で15%ほど高くなっています。

幕内先生の考える「肝臓外科医に必要なもの」

肝臓

上記のような理由から、私は肝臓外科医に必要なものは、「画像」がみえていることであると考えます。ここでいう「みえている」とは、肝臓内部の腫瘍と血管の関係性が、医師の脳内でクリアな画像として構築されているということです。より厳しい言葉を使えば、それができない外科医は、複雑な立体構造を持つ肝臓を扱うべきではありません。

私が肝臓外科医としてのスタートを切るべく国立がんセンターに移ったのは、当時肝臓がん手術の第一人者として知られていた長谷川博先生に「一緒に手術をしよう」と誘いを受けたからです。その長谷川先生も、腫瘍と血管の関係を絵に描いては私たちにみせ、脳に正確に入れるよう指導したものです。

もちろん、新たな画像解析システムなどを導入するのもよいでしょう。近年では、3D画像を描出できる医療機器など、非常に優れた機械も登場してきています。カンファレンスには有用な機器です。

しかし、どのように優れた機械が出てきたとしても、描出された画像をただ目でみているだけでは手術には役立ちません。肝臓はバリエーションの多い臓器であり、人によって血管の太さや走行が異なります。

術前に患者さんの肝臓の構造を時間をかけて観察し、覚えること。それができてはじめて肝臓の手術を行えるのです。

計55時間の生体肝移植手術を成功させる「情熱」

オペ室に向かう医療チーム

医療に限らず全ての分野にいえることですが、「情熱」を持っていなければ肝臓外科医は務まりません。肝臓の手術、特に生体肝移植に要する時間は非常に長く、多くの場合は翌朝までかかります。過去には水曜日の朝9時からはじめて、金曜日の午後4時までかかった生体肝移植も経験しました。数時間おきに休憩をはさみつつ、計55時間かけたこの生体肝移植は、私の執刀したあらゆる手術の中でも最長のものとなりました。まさにチームワークの賜物といえます。

また、長時間集中力を絶やさず手術を行うだけでなく、「患者さんにご自宅に歩いて帰っていただく」ところまでが私達の仕事であることも忘れてはなりません。

このとき生体肝移植を受けた患者さんも、無事に回復され、ご自身の足で病院の門を出ていかれました。

肝臓外科のパイオニアとして-「道」を作るということ

多発性肝嚢胞の治療を例に挙げて

かつては、多発性肝嚢胞(PCLD)の手術にも長い時間を要していました。これは、治療法が確立していなかったためです。多発性肝嚢胞とは、液体を含む嚢胞が肝内に多発する遺伝性疾患で、重症例では肝臓が3~6kgにまで肥大します。

過去には薬を注入したりして肝臓を小さくしようと試みていた時代もありましたが、この方法では薬液が腹壁との間に漏れ出て炎症が起こり、腹壁と肝臓を剥がす際に多量の出血が起こります。移植をすれば患者の命が助かることが知られてからは、嚢胞を薬液などで潰しても、肝を小さくしようとする試みは行われなくなり、直接移植医に紹介されて来る様になりました。何も治療を受けていない嚢胞肝は、開腹し、メスを使って嚢胞をひとつひとつ切り、内容液を吸引するようになりました。嚢胞の内容液を排出してしまえば、肝臓は1000g強にまで縮み、その後の工程をスムーズに進められるようになります。

このような試行錯誤を繰り返したことで、2000年代には多発性肝嚢胞の肝移植手術が随分と容易なものになりました。

新たな分野を切り開き、多くの後進の医師たちが歩める「道」を作るには、様々な経験を積み重ね、そのたびに頭を働かせて改良法を考え続けることが大切です。

また、道ができた現在であっても、科学は日進月歩のスピードで進歩し続けていますから、「学び続けること」は常に重要です。全てを知り尽くすことはできませんが、アップデートされていく情報の中から外科医として役立つものを取捨選択し、日々勉強すること、それが一人でも多くの患者さんを助けることに繋がると考えます。

 

肝臓がん(幕内雅敏先生)の連載記事

1973年東京大学医学部卒業。当時専門医がほとんど存在しなかった肝臓外科のエキスパートとして、「幕内基準」「門脈枝塞栓術」など名だたる治療法や診断基準の確立に尽力する。1993年には、信州大学にて世界で初めて成人間生体肝移植を成功させた。肝臓外科医の世界的な権威として、日本のみならず世界中の医師や肝疾患を持つ患者さんから、厚い信頼を寄せられている。

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