ホルモン受容体(HR)陽性・HER2陰性の転移・再発乳がんの患者さんでは、治療が長期にわたることが少なくありません。前編では、臨床試験の結果などからCDK4/6阻害薬の使い方を考えました。後編となる本記事では、副作用や経済的な負担、QOLなどを踏まえた乳がん治療の考え方について、乳がんの専門家である石川 孝(いしかわ たかし)先生(東京医科大学病院乳腺科主任教授)とがん薬物療法を専門とする國頭 英夫(くにとう ひでお)先生(日本赤十字社医療センター化学療法科部長)にお話を伺います。
※それぞれの患者さんの治療は、患者さんの病状やご希望、主治医との話し合いによって決まるものです。本記事は、SONIA試験などの集団データや専門家の見解をもとに、治療を考える視点についてご紹介するものです。個別の治療方針については、記事の内容だけで自己判断せず、疑問や不安がある場合は必ず主治医にご相談ください。
石川先生:
HR陽性・HER2陰性の乳がんは、転移・再発しても比較的ゆっくりした経過をたどることが多くあります。特に最初の治療から時間が経ってから再発したり、骨転移だけで発症したりするような症例では、ホルモン療法を再開するだけで何年も過ごせる方も多くいらっしゃいます。CDK4/6阻害薬を早い段階から使えば、その分だけ副作用や通院・検査、薬剤費による負担を抱える期間も長くなります。SONIA試験でも一次治療からCDK4/6阻害薬を使った群では、最初から多くの副作用を経験せざるを得ず、またCDK4/6阻害薬が高価なので医療費も増加することが報告されています1)。日本には高額療養費制度があり、自己負担には年齢や所得に応じた月ごと・年ごとの上限が設けられています。ただし、制度を利用しても負担がなくなるわけではなく、毎月何万円も支払わなければなりません。その支払いが何年も続くので一般の家庭にとっては生活設計を左右する問題になりかねません。
國頭先生:
自己負担が長期間積み重なり、家計や仕事、将来の生活設計に影響を及ぼし、治療費への不安をもたらすことを「経済毒性」といいます。さらに、患者さん個人の経済毒性とともに、社会全体の医療費や、ひいては将来的な医療の持続可能性についても考えねばなりません。薬の単価だけでなく、何人の患者さんが、どのくらいの期間使うのかによって、医療費全体の負担は大きく変わります。
石川先生:
病状によっては一次治療からCDK4/6阻害薬の併用が必要な方もいらっしゃいます。一方で、ホルモン療法単独で治療を始めても十分な効果が期待できる患者さんの場合、転移・再発が分かった時点から、高価な治療のために生活を切り詰める必要はないと考えています。私が日本人患者さんを対象に行った大規模な観察研究でもSONIA試験を支持する結果が出ています2,3)。病状に応じて、ホルモン療法単独から始めて経過を診ながらその後の治療を考えていく、という進め方も選択肢の1つです。そうすることで、患者さんは薬剤の副作用や経済的な負担にはさいなまれることなく、転移という状況を徐々に受け止めて、気持ちを整理しながら今後の生活を考える時間を持つことができると思います。もちろん、医師が責任を持って治療の効果を確認し、必要な時点で薬剤を追加したり変更したりすることが必要です。
國頭先生:
CDK4/6阻害薬はよい薬です。よい薬だからこそ、全ての患者さんに同じように使うのではなく、誰に、どのタイミングで使うのかを考え、大切に使っていく必要があると思いますね。
石川先生:
患者さんに治療について説明する際、医師が単にデータを示して「どちらにしますか」と選択肢を並べるだけでは、患者さんを困らせてしまうことがあります。患者さんが専門的な情報を全て理解したうえで、1人で治療方針を決めるのは簡単ではないからです。それぞれの選択肢のメリットとデメリットを説明したうえで、目の前の患者さんに合っていると主治医が考える治療をすすめることが大切だと思います。
國頭先生:
治療について十分に説明することと、最終的な判断を患者さんに丸ごと委ねることは違います。「先生にお任せします」と言われたのであれば、医師はその責任を引き受け自分が最善だと考える治療を行うべきだと、私は知人の弁護士さんからも言われました。だからこそ、患者さんからも、ご自身が治療にあたって大切にしたいことを、率直に医師に伝えていただきたいと思います。たとえば、仕事を続けたい、家族との時間を大切にしたい、副作用が心配、治療費の負担が気になる、といったことです。こうした情報は、医学的な検査結果と同じくらい、患者さんに合った治療を考えるための重要な材料になります。
石川先生:
治療の見通しについても、遠慮せずに尋ねていただければと思います。なぜ今この治療をすすめるのか、どのくらいの間隔で効果を確認するのか、どのような変化があれば治療を追加・変更するのか……こうした点を共有できていれば、患者さんも今の治療が計画的に進められているのだと理解しやすくなります。
医師が責任を持って治療を提案し、患者さんも自分の希望を伝えるという対話の積み重ねがお互いへの信頼となり、長い治療を一緒に進めていく土台になると思います。
石川先生:
がんの治療薬の効果は、これまで主に「病状の進行を抑えられた期間」や「生存できた期間」など、時間の長さによって測られてきました。CDK4/6阻害薬に限らず、治療薬の効果をどのような指標で測るかは、臨床試験の結果を評価するうえで重要な論点です。病状が進行しなかった期間であるPFS(無増悪生存期間、Progression-Free Survival)は、新しい薬の効果を比較的早く確認できるため、広く用いられてきました。一方で、PFSの延長のみで患者さんにとっての治療の価値を十分に評価できるのかという疑問があります。新しい薬剤の臨床試験を行う際に、今後は主要評価項目としてPFSだけでなく、同時に副作用や経済的な負担まで考慮に入れるべきだと思います。
國頭先生:
PFSが長いということは、それだけよく効く薬であるということです。ただ、PFSが長い薬を早い段階から使うことが、治療全体を通じて最もよい結果につながるとは限りません。野球に例えるなら、ドジャースの大谷選手とベッツ選手のどちらを1番に、どちらを2番に置くかは、個々の成績だけでは決まりませんよね。成績のよい選手から順に並べれば試合に勝てるわけではありません。
時間の長さとは別の指標としてQOL(生活の質)も大切ですが、1つの数字にはまとめにくいものです。QOLには、身体的な状態、心理面、仕事や家庭生活など、いくつもの側面があります。それを1つの指標で出すのは本質的に無理があります。重要なのだけど、数字に表せない。
それに比べて、ある日を起点に患者さんが生存している期間を示す全生存期間(Overall Survival:OS)は、単一の時間軸で表せるため非常に分かりやすい指標です。しかし、分かりやすい数字だけを見ればよいわけではありません。PFSやOSとともに、副作用、経済的な負担、患者さんがその期間をどう過ごしたのかまでを含めて、治療の価値を考えていく必要があります。
國頭先生:
サミー・デイヴィス・Jr.が歌う「I've Gotta Be Me」という曲の一節には、「俺は生きたい(live)、ただ生き延びる(survive)のではなく」とあります。
医療ではOS、つまり「サバイバル」を重要な指標として評価します。生存期間を延ばすことには大きな意味があります。同時に、その方自身の人生、つまり「ライフ」をどう生きるかは、たぶんそれ以上に大切なことだと思います。臨床試験では、QOLや経済的な負担は測りにくいものです。しかし、測りにくいからといって評価から外してしまうと、医療が重視するものと患者さんが大切にしているものがずれてしまう可能性があります。
石川先生:
治療費の負担に悩んでいらっしゃる患者さんは少なくないでしょうが、患者さんは治療費を支払うために生きているわけではないと思います。病気の進行を抑えることはもちろん大切です。しかし、治療費を支払うために生活を切り詰めて、生活を楽しむことを我慢しなければならない時間が長くなってしまうとすれば、何のための治療か分からなくなると思います。
國頭先生:
これまで治療を続けてこられた患者さんも、これから治療を考える患者さんも、その時々で主治医の先生と話し合いながら、一つひとつ決断を積み重ねてこられたと思います。この記事をこれからの治療を考えるための1つの視点として、役立てていただければ幸いです。
参考文献:
1) Sonke GS, et al. Early versus deferred use of CDK4/6 inhibitors in advanced breast cancer. Nature. 2024; 636: 474-80.
2) Ishikawa T, et al. Real-world data for a CDK4/6 inhibitor, palbociclib, as 1st- or 2nd-line therapy in HR+/HER2- metastatic breast cancer: a multicenter prospective cohort study. Breast Cancer Res. 2026; 28(1): 137.
3) プレスリリース:再発乳癌症例に対するCDK4/6阻害剤の適切な導入時期を検証~700例の大規模前向き研究で二次治療からの薬剤導入の妥当性を実証~(東京医科大学、横浜市立大学)
https://www.yokohama-cu.ac.jp/res-portal/news/2026/ai9bhm0000000tmp-att/20260623ishikawa.pdf
取材依頼は、お問い合わせフォームからお願いします。